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マーケボン

船酔い

『脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす』 (甘利俊一著/講談社ブルーバックス)

平塚元明 マーケティングプランナー

今や大抵の広告会社にデジタル領域の専門組織が設置されている。その草分けのひとつは1996年につくられた「博報堂電脳体」という実験部署。私は当時、そのたった7人の小さな船出に加わった。そこから広告の新しい時代について考えはじめて、今年で20年だ。もうずいぶん長いね。

そんなわけで、デジタル領域の知見を話せ、という依頼を時々頂戴する。講義なんて偉そうで性に合わぬが、業界への恩返しと思ってなるだけ引き受けるようにしている。このテーマ、なにしろ困っている人が多いのだ。次から次へと新しい話が涌(わ)いて出てくる。しかも横文字がこれでもかと。ついていけないヤツに明日はない、と煽(あお)る声も威勢がいいから、マジメな人ほど心細くなってくる。

目先のめまぐるしい変化ばかりを追いすぎないようにした方がいい。困っている人たちにむけて私がいつも話すのはそんなことだ。変化を大きくとらえる大局観に重点をおいて話す。講義の中にいわゆる「最新動向」はほとんど出てこない。人によってはそこが不満だろう(講義後にアンケートが配られると、明日からすぐに使える実践的な知識が身に着くと思っていたが……云々(うんぬん)という感想が書きつけられることがある)が、新語解説や先端事例紹介などいくら聞いてもあなたの心細さは決して晴れることはない。息つく間もなくまた次の新語、またその次の新語が続々と涌いてくるからだ。

これ、船酔いに似ているかもしれない。近くばかり見ているとやられる。次から次へと寄せてくる波が船を間断なく揺らしていて、その揺れに気を向ければ向けるほど、身体は力んで、具合はどんどん悪くなっていく。遠くを見ること。海岸線を眺めて身体の力を抜く。船が進んでいるのか止まっているのかよくわからなくなってくるくらいずっと同じような眺めが続くが、ふと気づくといつの間にか眺めが大きく変わっている。こんな感覚をうまく伝えられたらいい。大きな変化というのは近景ではなく遠景で起こるのだ。

近景が賑(にぎ)やかである時ほど、あえて遠景に目をやってみる。そんな切換えを常日頃から意識してみよう。変わり目の時代を生きていくのにいくらか役立つかもしれない。例えば、今、賑やかといえば「AI」の話題か。自動運転だ、ディープラーニングだ、シンギュラリティだとテレビや雑誌が連日大盛り上がり。それに煽られて、これはスゴイことになるぞ、と居てもたってもいられなくなって、マーケティングもAIの時代だ、我が社は大丈夫か、断じて乗り遅れまいぞ、と浮足立つのもわからないではないが、ただあわてるだけだと船酔いが進むばかりでロクなことはない。

こういう時こそ遠景である。間違いないのは、長い時間をかけてそのことに取り組んできた専門家にあたること。齢(よわい)80歳の神経科学の泰斗が書いた『脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす』(甘利俊一著)なんかいいんじゃないか。一般向けの啓蒙(けいもう)書の体裁をとった小冊だが、内容はまるで容赦がない。にわか素人が聞きかじりで今日明日をあれこれいえるほど簡単な世界ではないぞ、大きな変化の到来にはまだまだ時間がかかるのだ、という大局がただヒリヒリとわかる。明日からすぐに使える実践的な知識が身に着くと思っていたが……という感想は的外れ。そういう本ではないから価値があるのだ。

野次馬でも楽しめるのが、5月に放送されたNHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」。近景ならこれだろう。ネットで有料公開されているので、見てない人はぜひ。損はさせません。

筆者プロフィル

1967年生まれ。1989年博報堂入社。マーケティング局〜博報堂電脳体〜インタラクティブ局を経て03年に退社、現在はフリーで活動中。(株)博報堂プラニングハウスフェロー、(株)パズル社外取締役、(株)ants相談役、「宣伝会議」レギュラー講師。著書に「ポスト3.11のマーケティング」(共著)など。 http://blog.goo.ne.jp/omiyage22

本誌デザイン/阿部雪絵デザイン室

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