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おお、紙よ!

「紙」は知識を定着させるインターフェイス

─ 認知科学から見た紙メディアと電子メディア ─

東京大学名誉教授 日本印刷学会元会長 尾鍋史彦

紙メディアや電波メディアなど既存メディアがすべて電子メディアに置き換わることはない、という意見に異を唱える人は少ないだろう。それでは、電子メディアと紙メディアの違いとは何だろうか。紙メディアだからできることは何なのか。それを認知科学の観点から長年探求してきたのが、尾鍋史彦氏だ。

人間の五感との親和性が高い紙

── 先生は、メディアにとって大事なのは「人間の感覚との親和性」だとおっしゃっていますね。

メディアと人間の五感との関わりで、最も親和性が高いのが「紙」です。紙に触れることによって脳が活性化し、意識を集中させ、紙メディアに載っている情報が生理的な違和感を伴わないで認知され、脳内の長期記憶貯蔵庫に格納されやすくなる。文字を記録するメディアとしては、石や甲骨、粘土板、羊皮紙など歴史上いろいろあったわけですが、紙の人間の感覚との親和性の高さが、太古の昔から現在まで持続的に使われてきた最大の理由だと考えています。

電子メディアも、表示に液晶や有機ELなどを使ってこうした紙の特性に近づこうとしていますが、まだ“見るだけのメディア”で、五感に訴え、記憶を安定化させるまでには至っていません。スマートフォンやタブレットは、その場で情報を見るというレベルではいいメディアですが、本や新聞など紙メディアで情報を得たときと違って、知識や知恵として自分の血肉になりにくいのです。

── メディアの特性は認知のあり方と深く関わっているということですか。

メディア理論の考え方と発達心理学の考え方を組み合わせると、人間の情報処理過程を説明する認知科学理論ができると考えています。「認知科学」というのは、心理学の先端分野の一つで、コンピューターによる情報処理過程と人間の脳が行う情報処理過程を比較しながら、人間の情報処理モデルを組み立て、人間の「知」の領域で行われている情報処理の仕組みの解明を目指す学問で、コンピューターの出現と同時期の1950年代に始まっています。特に近年は脳科学との連携で、人間の知覚・学習・記憶などの認知行動の仕組みが明らかになりつつあります。

── 脳科学との連携というのは、どういうことですか。

脳科学というのは、脳波や脳の血流量、さらには目の動きや身体の動きをそれらと連動させながら、実験データを元に脳がどうなっているか、どういう働きをするかを解明していく学問です。一方、認知科学というのは、さまざまな認知現象を集めて、その中から人間の認知行動をモデル化し、理論体系を作っていく学問です。短期記憶と長期記憶は記憶のメカニズムが違うと言われますが、これも記憶プロセスをモデル化しているわけです。

もちろん、脳科学と言えども人間の記憶を可視化できるわけではありません。現在の脳科学でわかるのは、脳内のどの部位が活性化しているのか、脳波の形状がどうなのかくらいです。しかし、短期記憶と長期記憶でメカニズムが違うというモデルがあれば、それを元に脳科学が検証のための実験を試みることができるわけです。両者は相補的関係にあるということなんですね。

マーカーを引いたり書き込みをして運動野を働かせながら記憶するのが有効

紙の情報が長期記憶されやすい理由

── 人間の感覚に親和性が高いメディアは情報が認知されやすいというのは、認知科学ではどのように説明できるのでしょうか。

心理学でモノやコトを評価するとき、「感情価(hedonic value)」という評価尺度があります。その物事が人間に対してどのような感情を引き起こすのかという尺度です。快・不快、興奮・沈静、緊張・弛緩などの感情をどの程度引き起こすか、感情価によって定性的な評価が行われます。一般的に人間は、“快”の感情価の高い物事に対して接近行動を、低い物事に対しては回避行動を起こす習性があります。私は、この「感情価」がメディアの親和性に深く関わっていると考えています。人間にとって紙メディアの感情価は高く、人間は紙メディアと対峙すると、使ったり、読んだり、書いたりしたいという接近行動をしようとする欲求が生まれるのです。

── 紙メディアに載っている情報は脳内の長期記憶貯蔵庫に格納されやすくなるというのは、どうしてなのでしょうか。

認知科学に短期記憶と長期記憶という二つの貯蔵システムを想定する「記憶の二重貯蔵モデル」があります(図1)。視覚情報はまず感覚登録器に一時的に保持され、そこで注意の喚起などで選択された情報が海馬の短期貯蔵庫に入力され、一定期間保持される。さらに、そこで反復されたり、強く印象づけられた情報は大脳皮質の長期貯蔵庫へ転送され、永続的に貯蔵されるという記憶モデルです。人間の感覚に馴染んだメディアでないと、海馬から短期記憶を経て、長期記憶に移行されるということは起こりにくいのです。

例えば、本を読んでいて大事なところに線を引くことがありますね。線を引くことによって、ただ読んでいるのではなく、指の触覚が繰り返し刺激される。そうすると脳の運動野が働くのです。視覚野と運動野が総動員して情報を何度も大脳皮質に刻み込む。それが、紙に線を引きながら読むと“納得できる”ということにつながるわけです。

── 紙の書籍は、何がどのへんに書いてあったかという記憶は特に意識しなくても残りますが、電子書籍の場合は……。

電子書籍は物質的な“厚み”がないですから、何ページ目という位置の記憶がありません。それで最近問題になっているのが、旅客機の操縦席に置いてある緊急時マニュアルです。昔は分厚い紙のファイルだったので、ページをめくってすぐ必要な箇所が見つけられた。それが最近はタブレットですから、全体の中の位置がわかりづらい。緊急のときにかえって危ないと言われているんですね。

教育へのICT導入は幸せをもたらすか

── 電子書籍は記憶に残りにくいと言われている一方で、教科書のデジタル化も進んでいますね。

教科書だけでなく、電子黒板やタブレットなど学校教育全般に情報通信技術(ICT)を導入しようという方向で進んでいます。ただ、一挙に電子的なメディアに入れ替えるのは問題があるという指摘もあり、紙と電子メディアを併用する方向で進んでいきそうです。日本の学校すべてにICT化が拡がれば新たなマーケットが開けることになるのでしょうが、教育へのICT導入は果たして人間に幸せをもたらすのかということです。

── 先生の結論は?

もたらさないと思います。特に、初等教育へのICT導入は慎重であるべきです。将来的にも、デジタル教材は従来の紙の教科書の補助的教材に留めておくべきです。

それから電子図書館の問題もあります。国会図書館を中心に、既存の本の図書館に併設する形で急速に進みつつあります。電子図書館は、商用コンテンツだけでなく、地域資料や貴重な資料が管理できたり、来館しなくても閲覧できたり、自然災害によるリスクの分散ができるなど大きなメリットもあります。私が気になっているのは、個人の情報端末から読むことはできてもダウンロードできない、つまり紙にプリントアウトできない仕様で進められていることです。不正コピーの防止が理由ですが、デジタル教科書と同じ認知の問題が出てくると考えています。

学校にしろ図書館にしろ、情報の中身・目的に応じたメディア選択が重要だということなのです。ICTによる新たな教材環境が児童の好奇心や創造性・積極性を呼び起こす可能性には賛同しますが、最終的な記憶の定着という点から果たして人間の成長や知性の構築に寄与するのかという疑問はあります。

情報には、その場で眺め判断が終われば用済みで保存の必要のない「フロー情報」と、知識として人間の脳内の認知構造の中に安定的にストックして定着させるべき「ストック情報」があります。電子メディアはエンターテインメントやハウツーなどフロー情報には向いていますが、情報を蓄積、ストックして、知性の一部にしようと思ったら、人間の目と情報の間に紙というインターフェイスがないと脳内の認知構造の中に入ってこない。紙が情報を定着させるインターフェイスの役割を持っているということなのです(図2)。

── 受験勉強を思い返せばイメージしやすいですが、やはりタブレットでは心もとない。参考書とノートで勉強するわけですよね。

フランスには「メディオロジー」という理論があります。紙メディアは、今言ったように情報を定着させるだけでなく、人間が引き継いできた記憶を集積させるための媒体であり、情報は紙に載せることで信頼性が高まるという考え方です。聖書や紙幣などがその典型的な例です。紙は、文化の支持体としても強い力を秘めているということなのです。

紙は思考の痕跡を残すメディア

── 文章の校正も、画面より紙に出力したほうがやりやすいですね。

なぜかというと、紙が意識を覚醒させ、注意力を喚起するからです。画面上では、意識があまり覚醒されないから、誤りを見つけようという気になりにくい。その理由は、最初に言った五感との親和性です。紙は意識の集中が自然にできるのです。

── 最近は手書きで文章を書く人は少なくなりましたが、手書きとキーボードでは、認知に違いはあるのでしょうか。

ありますね。2001年にパリの国立図書館で、「Brouillons d'écrivains」という展示会があったのです。直訳すれば「作家の草稿」。プルーストやビクトル・ユーゴーなど、さまざまなフランス文学者が推敲をした原稿やゲラを並べて、それが出版されるまでを展示したものです。フランス文学に限らず作家というのは、原稿の段階で直し、ゲラに対しても自分を批判しながら何回も何回も書き加え修正していく。徹底的に推敲するのです。

その展示で強調されていたのは、「クラビエの時代になったら、思考の痕跡というものが見えなくなる」ということでした。クラビエ(clavier)とは、キーボードのことです。キーボードで打つ原稿は、直す毎に前の文章がどんどん消されていってしまうんですね。修正前後の原稿が残っていたとしても、原稿が完成するまでの過去ファイルをいちいち比較する人はあまりいません。手書きの原稿だったら、推敲したときの人間の思考の痕跡が見えるわけです。キーボードでは、その人間の深い思考が隠れてしまうんですね。

── 現代作家の場合、我々には作家が推敲した最終結果しか見えない?

そうなんです。なぜ思考の痕跡を見ることが大事かというと、人間の脳というのは個々の思考体系を持っていて、そこに新しい選択された情報が入ってくると、これが全体に影響して思考体系を再編成するからです。例えば、私が横浜の日本新聞博物館に行き、最新の新聞の歴史や現状を知ったとします。すると、今まで持っていた新聞に対するイメージが、そこで見た情報によってつくり変えられる。実は、それが大事なのです。思考の痕跡が見えなくなるというのは、その過程が見えなくなるということなのです。

新聞は「ストック情報」を目指すべき

── その新聞ですが、今までの先生のお話からすると新聞はストック情報ではなく、フロー情報のメディアだと思うのですが。

電子メディアが普及するまでは、新聞が日々のニュース、フロー情報を追い、総合雑誌が事件の本質に迫るストック情報を提供するという役割分担だったと思います。今はその役割は(その情報源の多くが新聞記事であることは置くとして)、ネットニュースに譲りつつあります。これからの新聞には、出来事や事件の本質に迫るストック情報の提供がより求められると思います。そのとき、記者や寄稿者の個性と共にこれまで述べてきたような紙媒体の特性が生きてくるわけです。

これは新聞広告にも言えることです。新聞広告は、じっくり読めるし、何回も繰り返して見ることができる。手に持って見るメディアとしてはサイズも最大です。電子メディアとは違ったポテンシャルを持っている。もっと人間の意識に、脳に定着させるには、どうしたらいいかということを、認知科学の知見を総動員して探っていかなければいけない時期にきているのではないでしょうか。

Fumihiko Onabe

1967年東京大学農学部林産学科卒業後、大学院を経てMcGill大学留学。フランス政府給費留学生としてCentre Technique du Papier(グルノーブル)客員研究員。92年東京大学教授、2003年退官(大学院農学生命科学研究科・生物材料科学専攻、製紙科学研究室)。日本印刷学会・紙メディア研究委員長、元繊維学会紙パルプ研究委員長、日本印刷学会会長、放送大学(テレビ)「紙の文化学」講師を歴任。東京大学名誉教授(製紙科学)。著書に『紙と印刷の文化録』(印刷学会出版部)、『紙の文化事典』(朝倉書店)ほか。

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