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特集紙というテクノロジーの可能性

(Tue Dec 04 12:18:00 JST 2012/2012年12月・2013年1月号)

【「コンピューター技術」で拡がる可能性 】紙をディスプレーにする発想
東京大学   工学部 電子情報工学科 准教授   苗村 健 氏

苗村氏

例えば紙の新聞や雑誌をメガネ型の端末で見るとさらなる情報が得られるなど、実世界上の物体とデジタル技術を結び付けて現実を拡張させる「拡張現実感」の研究が進んでいる。紙をインターフェースと捉え、コンピューターと組み合わせた表現や技術を研究する東京大学の苗村健准教授に、その可能性について聞いた。

──電子工学系の研究者である先生がなぜ紙に注目するようになったのでしょうか。

  新聞やテレビ、ラジオなど、人に何かを伝える手段を「メディア技術」と言いますが、これまでのメディア技術の研究は、3D映像やディスプレーなど、いかにスペックを高めるかという発想でした。けれどもそこで「その技術を使って人にどんな体験をしてほしいのか」まで考えると、技術だけではなくインターフェースやコンテンツも一緒に設計する必要がある。我々はそれを「メディア・コンテンツ」と名づけ、研究を行っています。「人の操作に対して機械が反応を返すことで、ユーザーの行動やモチベーションをいかに導くか」など、“人と機械の対話”を理解・デザインする考え方を「インタラクションデザイン」と言いますが、人が機械やシステムと向き合う際についやってしまう行動とは何かを常に考えながら、さまざまな領域を横断して研究を進めています。
  紙に注目したのは、それまでディスプレーを用いたプロジェクトを多く手がけてきたので、少し目先の違ったアプローチをしてみたいと思ったのが理由のひとつです。現状、ディスプレーもiPadのような発光型のものだけでなく、より紙を見る環境に近いKindleのような反射型のものも徐々に登場してきてはいますが、その感触は板状で硬く、紙と同一の体験を提供できるデバイスはまだ出てきていません。その点も、紙に興味を持ったきっかけでした。

「紙」ならではの効果への気づき

──コンピューターによって紙面上の情報自体を変化させる「ペーパー・コンピューティング技術」の研究を進められていますが、この研究に至る経緯は?

  紙に興味を持ったのとちょうど同じ頃、ミュージアムの鑑賞体験をデジタル技術で豊かにする、文部科学省の「デジタルミュージアムプロジェクト」に携わっていました。そこで、鑑賞者に電子デバイス(iPod touch)を貸し出して作品の評点を入力してもらい、鑑賞後に評点に応じたレイアウトで展示物の情報を掲載した“あなただけの”リーフレットをお土産に渡すPeafletシステムについて実証実験を行いました。
  これが後でウェブで見られるような仕組みだと、ミュージアムを出たら忘れてしまったり、手元にないので同行者と話したりすることはありませんよね。それが、受け取ったリーフレットを覗き合って、作品について話しながら帰る場面を多く観察しました。この時改めて、実体を伴う紙ならではの“体験の共有”効果を実感しました。

紙に文字を書くと、その筆記音が増幅されて左右のスピーカーから聞こえてくる

  次に行ったのが、「筆記音のフィードバックに関する研究」です。映画やドラマでは、勉強中のシーンなどで“カリカリ……”といった筆記音が強調されますよね。この音を利用すれば、「紙に書く」という行為を拡張できるのではと考え、下敷きに工夫をして筆記音を拾い、左右のスピーカーで増幅させる装置をつくりました。高い筆圧で一気に線を書いたりすると“ジュワッ”という音がして、研究室のオープンハウスでは多くの人が楽しんで触り、僕の息子もほかの高度なメディアアートよりもずっと気に入って離れなかったほどです。
  この効果を確かめるために、40分間の漢字の書き取り実験を行うと、装置の有無で統計的に有意な差が現れました。装置によって、より多く書き取りができたのです。
  これら紙の存在を前提とした行為(紙を見る、紙に書く)にまつわるプロジェクトを進める中で、紙をディスプレーとして使えるようにしたら面白いのではないか、という思いを強く持つようになりました。

2種類の特殊インキを活用

──それが、紙に書いた文字と電子上の情報を連動させる、「Hand-rewriting」などペーパー・コンピューティング技術に結びついていくわけですね。

  ええ。「Hand-rewriting」は、紙に手書きしたものを紙の上にある状態のままコンピューターによって消去したり印字したりするプロジェクトです。これは電子的技術というよりも、フォトクロミックとサーモクロミックという2つの物質に関する研究が合体したものです。

  紫外線で色が変化するフォトクロミックインキを塗った紙に棒を立てて屋外に出しておくと、太陽の動きに応じて棒の影で紙が部分的に変色します。日時計の形になるわけですね。この現象を屋内で再現するのが「フォトクロミックプロジェクション」の研究です。紫外線を照射するプロジェクターをつくり、それを用いてあるパターンをフォトクロミックインキを塗った紙に映し出すと、紙がまるであぶり出しのように変色し、パターンが浮かび上がります。プラズマディスプレーなどの発光型ディスプレーほどは目立たないので、ミュージアムにおいては主役ではないイベント案内などの情報提示に応用できると考えていました。
  一方、熱に反応して変化するサーモクロミックインキは、書いた文字を専用ラバーでこすることで消すことができるパイロット社のボールペンやマーカーペンですでに身近なものになっていますが、僕の研究室ではこの性質を用いて、紙の上の文字を“消す”行為をコンピューター制御する「AR-eLaser」という研究を進めていました。下からレーザーを照射できる台に紙を置き、サーモクロミックインキで書くと、コンピューターだからできる細かい消去作業や装飾文字の作成が可能になります。
  この2つの研究はどちらも、紙の上からコンピューター側に情報を、ではなく、コンピューター側から紙の上の情報を操作するという、言わば紙をディスプレーとして使うアプローチです。
  次の段階として「書く」「消す」を合わせてみよう、と生まれたのが「Hand-rewriting」でした。この装置はまだ1台しかないのですが、2台あれば遠隔地の2人が互いに紙に書き込んだり消したりしながら議論することもできますし、東京とニューヨークのアーティストがそれぞれのアトリエにいながら作品を紙面上の手描きで合作して、翌日の新聞広告に掲載することも可能です。

──紙を起点にした研究にはどのような意義がありますか。

  意見交換やその吟味に紙は適していますし、紙の資料を好きな位置に置いて読んだり、書き込んだりすることは理解する上で大事です。その点で、紙の重要性に疑う余地はないと思います。研究の側面からいうと、僕らにとって紙に手で書いた情報を電子的に操作するというアプローチや、その過程で化学の領域に踏み込んだことは新しいパラダイムでした。
  一方、化学分野の視点から見ても化学的な反応や材料をインターフェースに使う発想はまだあまりないので、その点でも紙の機能を拡張する可能性は大いにあると考えています。僕らのやりたいことがすでにある薬品物質や材料で意外と簡単にできるかもしれませんし、非常に面白みを感じています。

共有できることが紙の利点

──先生の研究領域を新聞広告に応用すると、将来的には特定の部分の色が変わる、一部が消える新聞広告も可能になりそうですね。

  物理的にはできると思います。紙は印刷したらそれきり、ディスプレーは変化を起こせる、というのは思い込みで、その常識を超えるのが、紙をインターフェースとして活用する第一歩になります。ただ、僕らが今試している範囲では、扱いやすい温度や波長で変化する、言い換えればすぐ反応する不安定な材料を使っているので、実用化には安定的に展開できる方法を考える必要がありますね。
  例えば、レーザーを使わなくても紙自身が一定の温度になる仕掛けがあれば、熱くなる箇所に書かれたものだけをサッと消すことができます。これは実は「導電性インキ」という電気を通すインキを使って紙に印刷することで、どこまでできるか研究中です。書いたものをデジタル情報として蓄積するアノトペンと組み合わせれば、手書きの情報はデジタルに保存でき、紙面上はすぐ消せる仕組みができます。

──新聞という紙のメディアの機能拡張には、どのような考え方がポイントになりそうですか。

  スマートフォンにしろ、タブレットにしろ、携帯端末で情報を読むとき、どうしても人は一人の世界に入りがちですが、新聞は広げて皆で読んだり議論したりできる点が大きな特徴です。メールでURLが送られるより、新聞の切り抜きを渡されるほうがその場ですぐに読みますよね。人に渡したり、広げておくだけで目に入ったりというシチュエーションに大きな存在意義があると思います。
  そう考えると新聞は、“共有する”コミュニケーションツールとしての役割をもっと追求していったら面白いと思います。その観点で、紹介した「Hand-rewriting」や「導電性インキ」など紙をディスプレーにする試みを進化させて紙とデジタルの世界を行き来させることができれば、紙ならではの機能を拡張する、新たなメディア体験を創ることができると思っています。

Takeshi Naemura

1997年東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻博士課程修了。2000年〜2002年米国スタンフォード大学客員助教授(日本学術振興会海外特別研究員)。2002年より現職。アート&エンターテインメント、メディア+コンテンツ、実世界指向インターフェース、ユビキタス情報環境などを研究。