特集

2010.2・3/vol.12-No.11・12

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社会的課題と広告コミュニケーション

生活者の関心が社会的な課題へ向けられるようになった今日、企業活動、国や自治体の施策において重要になってくるのは、それぞれが社会と良好な関係を結ぶための「ソーシャルコミュニケーション活動」だ。この潮流の意味を考えるとともに、広告会社の対応や非営利のコミュニケーション活動を通じて、広告が果たすべき役割は何かを探った。

生活者のソーシャル意識の変化と企業の対応

 博報堂生活総合研究所が毎年末に発表する『生活動力』は、社会の深層構造を読み解き、日本人の生き方と生活のベクトルを提言するリポートだ。この『生活動力』を中心になってまとめている主席研究員の吉川昌孝氏に、2009年と2010年、二つのリポートから見た生活者のソーシャル意識の変化と企業の対応策を聞いた。

──『生活動力2009』で「第三の安心」を生活総研が提言したのは、一昨年末ですね。

 第一、第二の安心があって、「第三の安心」なのですが、生活者に社会に対する関心が高まって、社会を直そうとする動きが高まっている。それを「第三の安心」と呼んだんですね。また、そのために動き出した人たちを「社会を修理する生活者」と名づけました。
 戦後からバブル期まで、日本はずっと右肩上がりでうまくやってきた。途中、石油ショックやドルショックがありましたが、それほど躓かなかった。やはり、バブル崩壊が一番大きな日本の躓きでした。その時から生活者の「安心づくり」は始まっているとみて、生活者がバブル後にどんな安心を求めてきたかをとらえ直してみたのです。そうすると、生活者は三つの安心を段階を追って求めてきたことが見えてきました。

社会の安心を求める生活者

──第一、第二の安心というのは、どういうものですか。

 バブル崩壊後、それまで浮かれていたこともあって、生活者は、自分自身をまず見直し始めた。これが「第一の安心─じぶん定め」の時期です。例えば、自分の能力や自分がどんな価値観を持っているのか、自分がどういう将来のイメージを持っているのかを真摯に見直し始めた。
 その後、1998年に金融ビッグバンが起こった。GDPなどの経済指標も含めて、それまで社会的価値とされていたいろいろな指標が潮目を迎えます。その前後に「第二の安心─まわり固め」の時期がやってきたとみています。
 それまでの自分のことを見直す動きも続いていましたが、この頃になると、今度は自分の身の回りの家族や友人関係、地域に関心が向かうようになった。桶川ストーカー事件や酒鬼薔薇事件、和歌山市毒カレー事件など、この頃は、それまで考えられなかった事件が立て続けに起こっています。そういうこともあって、生活者の関心は自分の身の回りに向かったのだろうと思います。

──第三の安心の背景は何だったのでしょう。

 2005年頃から兆候は見られたのですが、決定的だったのはリーマンショックに端を発した世界同時不況です。生活者は、自分や身の回りのことだけでなく、社会の土台自体が揺れているという実感を持った。社会の土台の揺らぎを何とか抑えないと、自分自身も安心できない。そういう不安感が生活者の関心を社会に向かわせたとみています。これが「第三の安心─しくみ直し」の時期です。
 環境問題や食料問題など地球規模の問題が大きくクローズアップされてきていた中で、リーマンショックによって、環境だけではなく、経済の仕組み、医療、教育、それから姉歯・耐震偽装事件をきっかけに自分たちの住む住宅まで、要は、今まで社会の土台としてこれは間違いないだろうと思っていたものすべてが揺らいでいる──そういう実感を生活者は持ったと思うのです。

──NPOの活動が日本でも盛んになってきましたが、それも第三の安心を求める動きととらえていいのでしょうか。

 一昨年あたりからNPOなどの社会起業家が増え出しました。それだけ見ると、急に生活者がボランティア精神に目覚めたようにも見えるのですが、我々が思っているのは、「自分の安心」を求めて生活者の関心が「社会の安心」に向かったということです。利己的というと言い過ぎですが、自分の安心のためのしたたかな適応だととらえています。
 つまり、第一の「自分の安心」を求める動き、第二の「身の回りの安心」を求める動きは今も続いていて、それに第三の「社会の安心」を求める動きが多層的に重なっていった。だから、今の生活者の社会貢献的な動きは、私利私欲なしに社会貢献しようということではないと、とらえるべきだと思っています。今の生活者は、自分の利のために利他的になっているのだとみています。

第三の安心とは

「そもそも発想」から「態度表明」へ

──昨年末の『生活動力2010』では「態度表明社会」ということを提言していますが、これも生活者が安心を求める動きと関連しているのでしょうか。

 そう思います。リーマンショックの後は、みんな非常事態のような感じで土台直しに走ったところがあると思うのですが、それも落ち着いてきた。状況がいっこうに良くならない中で、今も安心づくりを続けていると思うのです。そういう中で、生活者は何事に関しても自分の態度を定め直し、行動としてはっきり表明するようになっていくというのが今回の提言です。

──生活者が自分の主義主張をはっきりさせるようになるということですか。

 そうです。「そもそも発想」と呼んでいるのですが、自分にどんな主義主張があるのか、自分がどんな信条を持っているのかをゼロベースで考え、それぞれの行動を起こすようになるのではないかとみています。
 今は、移動手段一つとってみても、いろいろな選択肢があります。その中でいろいろ考えたけれども、自分はこれで行くというように、自分の態度をはっきりさせる。例えば、地球環境問題はわかっているけれども、それでも自分はガソリン車に乗り続けるというのも態度表明ですし、電気自動車に買い替えるのも態度表明です。車をやめて歩く、あるいは自転車に乗るのも態度表明です。
 これからの生活者は、自分の主義主張、「そもそも発想」に合致するような選択を世の中に対して見せていくのではないかとみています。

思い切って行動を変える生活者

──実際の調査にも、そういう結果が表れている?

 『生活動力2010』を作るにあたって、調査を実施しています。全国の15歳から69歳の人たちを対象に、3340人から回答を得ました。
 この調査で、ここ数年で「思い切ってはじめたこと」「思い切ってやめたこと」を聞いています。その結果、両方とも4割以上の人が「ある」と答えています。若い人ほど多いだろうと予想していたのですが、性別、年齢、地域、年収にかかわらず、だいたい4割ぐらいいる。みんな、それぞれの状況で思い切って何かを変えています。
 その具体的な内容をみると、「車をやめて、歩くようになって、自分の家の近くにこんなにいい所があったのかと気づいた」とか、「生活力を身につけるために男も料理をやったほうがいいと思って始めたら、おもしろくなった」とか、あるいは「生活費を削ったことによって、視野が広がった」とか、思い切って行動を変えたことによって、みんな思いもよらないような幸せを発見しているのです。
 実際はお金が苦しいから、必要に迫られて今までやっていたことを思い切ってやめた人も多いのですが、そのことによって視野が広がったり、知識が広がったり、人間関係が広がったという人たちがけっこういます。
 要するに、生活者は必要に迫られて、これまでの物事をゼロベースからとらえ直した。自らの主義主張を決め、 思い切って行動したら、思わぬ幸せを発見したということだと思うのです。そういうポジティブサイクルが生活者の中に生まれている気がします。
 今や、自分の主義主張にのっとって行動することが普通になってきているのだと思います。例えば環境問題も、最低、ゴミの分別はちゃんとやろうという人から植林のボランティアをやる人までいろいろいるのが当たり前で、自分はそれが気持ちいいからするのだと思います。

思い切ってはじめた44.1% 思い切ってやめた41.8%

好き・嫌いから賛成・反対へ

──そういう生活者に企業はどう対処すべきでしょうか。

 これからは、生活者の企業を見る目が、より厳しくなると思います。自分の生活もシビアな目で振り返って態度表明しているので、企業を見る目もシビアになって当然です。そうすると、企業への判断基準が、これまでの好き・嫌いから、行動や商品に賛成するか・反対するかに移っていくとみています。
 そういう生活者から「賛成」と言ってもらうためには、次の三つが条件になると思います。
 一つ目は、「生活議題の発論」です。生活者の「そもそも発想」を刺激するために、商品やサービスの存在意義を問い直すような問題提起を積極的に発信し、賛成という態度表明を引き出すことです。
 二つ目は、「行動成果の数値化」です。商品の購入や利用方法を具体的数値で表現し、さらに購入や利用によって獲得できる成果も生活者の視点から数値化することです。成果を得るために必要な行動とその見返りを示すことで、賛成を表明する具体的な行動を誘引します。
 三つ目は、「共賛装置」です。個々の生活者の賛成行動やその成果をほかの人と共有できる場を作るということです。賛成という態度表明が共鳴する場を構築し、一般に公開することで、多くの人々の賛成行動が誘発され、賛成の連鎖が生まれます。
 実は、今回の調査で「賛成の写真を撮ってきてください」というお願いをしました。意図的に漠然とした問いを投げかけて、どういうものを「賛成」と思うか調べてみたのです。インターネットのSNSのトップ画面もありましたが、祭りの写真が多く出てきた。人が集まることは、みんながそれに賛同している意味になる。生活者はみんなが賛同している姿を見たいということだと思うのです。
 「生活議題の発論」によって、生活者の態度表明を引き出す。「行動成果の数値化」で具体的な行動を誘引する。「共賛装置」で多くの人々の賛成行動につなげる。そして、この三つを連鎖させる。そのためには、企業側の精緻な計画と真摯な態度が必要で、生活者からじっくり腰をすえて判断されることを、これからの企業は覚悟しなくてはならないと思います。

新聞は意見表明メディア

──「賛成」の態度表明を写真で分析するというのは、ユニークな考え方ですね。

 意外と数が多かったのが、新聞紙面を写真に撮ってくる人たちでした。「政府のデフレ宣言」の記事や、「高速道路1000円」に対する論説欄、意見広告などを撮ってくる。つまり、自分がこの考え方に賛成であることを表明するために新聞紙面を撮ったのです。テレビや雑誌を写真には撮ってはこない。意見表明のメディア、「生活議題の発論」メディアとしての新聞の役割は大きいと思います。

──生活者の賛成・反対の基準はどこにあるのでしょう。

 「good」より「right」、「良い商品」ではなく「正しい商品」かどうかが一つの基準にはなると思います。ただ、これもそんなに杓子定規ではなくて、正しいことに対してどういう距離感で付き合うかは、人それぞれだと思います。今は地球環境問題で行動を起こすことに賛成しない人は、ほとんどいません。商品を選ぶ時も、それが前提条件になる。地球環境や社会問題に対して生活者自身が何かアクションを起こすのも、「21世紀の人間の基本だよね」ぐらいにたぶん思っている。ただ、そのスタンスが人によって違うのです。

──そういう人たちに対してソーシャルコミュニケーションはどうあるべきでしょうか。

 「ソーシャル」と言えばなんかいいなという状況は過ぎたと思います。「行動成果の数値化」ではないですが、具体的な部分をメッセージしたり、実感してもらわないと、生活者はなかなかアクションを起こさなくなっている。今は、企業のCSR活動はもちろんですが、その製造過程まで考えれば、あらゆる商品でソーシャルに関連しないものはないはずです。昔は「私はこの商品を買うわ」だったのが、今は「私はこのソーシャルアクションに参加するわ」に変わってきている。ソーシャルの中身の競争になってきています。
 そこで大事になるのは、単なる説得ではなく、右脳と左脳の両方に働きかけることです。理屈だけでは今の生活者は動かない。やはり、企業がこういうことをやりたいんだという思いを伝えることも重要になる。だから、「生活議題の発論」は、そこまで踏み込まないと発論にならないということです。

──むずかしい時代ですね。

 確かに、企業にとっては相当にしんどい時代です。しかし、逆にチャンスだと思うのは、一度生活者に賛成してもらえば、企業に対してかなり強いロイヤルティーが生まれる。これまでは、新商品が出ればブランドスイッチがしばしば起こりましたが、賛成という態度表明は、かなり強固な関係です。これからの企業と生活者の関係は、かなり濃密なものに変わっていくのではないでしょうか。


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