こちら宣伝倶楽部

2010.2・3/vol.12-No.11・12

行ってらっしゃい 梶祐輔さん

イラスト

 梶祐輔さん。10月4日にあなたが亡くなられたという訃報記事を7日に見て、一瞬目が眩みました。奥様と小金井のお宅で薔薇作りを楽しんで、そのあいだを縫って仕事をなさっているとばかり思っていました。
 広告不況でなく広告の乱作からくる不作だと思い、けたたましいだけの広告や、広告は結局金のチカラみたいになって、広告主がしっかりしないから商品としての広告づくりをする人たちばかりが目立つようになって、広告の品がなくなっていく淋しさをずっと思っていました。

「梶さんの雨」が降った日

 梶さんだったら、こんな時なにをどう考えていらっしゃるか、お聞きしたい、お会いしたいとずっと思っていました。12月11日、ニューオータニでの「梶祐輔 お別れの会」のお知らせをいただきました。その日は冷たい雨の降る日でした。「梶さんの雨」と思って少しくらい濡れてもいい気持ちになって、弁慶橋をゆっくり渡りました。会場の献花台の正面、カラーコルトンになった梶さんの写真を見て驚きました。右手の親指と人さし指でマルを作ったOKサインでこちらを向いていらっしゃる、こんな手回しのよい写真を前もって用意されていたとは思えないし、第一こんなミーハーなポーズを、得意になってするひょうきんな人だったともとても思えません。でもこれで少しだけ救われた気分にはなりました。会場でもこのことが話題になり、きっと合成写真だろうという結論でした。梶さんを慕う仲間の人たちのお別れのジョークだったのだと思います。
 入り口でご家族の方々にご挨拶し、日本デザインセンターのもうひとりの最高顧問、永井一正さんともご挨拶することができました。会場にきておられる方は、私も交えてもう若くはない人ばかりで、ああひとつの時代を象徴しているなと思いました。
 本誌「ojo」で梶さんとの対談が企画され、私がそのお相手に選ばれた時は、現役時代の遠い日にずっと憧れて尊敬していた梶さんとご一緒できるとは夢にも思わず、大役がつとまるかどうか心配してのぞみました。梶さんはずっと気をつかってくださり、決して自分から前へ出ようとせず、私に花をもたせてくださったやさしさを今も忘れません。この年になってもとても私にはできない芸当です。

「よい広告」が作れた「よい時代」

 あの対談は1999年4月号。対談のテーマは「企業とクリエーティブの距離」で、トビラの「広告人」にはCMディレクター佐々木宏さんが電通時代の若き姿で紹介されていました。そのあとすぐ1999年5月号から今のこの連載「こちら宣伝倶楽部」が始まりました。この号でもう113回目、あの対談でポンと背中をおしてくださった勢いでまだ走っています。その一部を加筆修正して一昨年「広告心得」という本をすばる舎から出していただきました。梶さんのお書きになった「広告の迷走」というさすがにうまいタイトルには及びもせず、ずっと冷汗をかいています。
 亡くなられた16日後の10月20日にトヨタ自動車さんが全頁広告で「追悼 梶祐輔さん」と題して、「白いクラウン」に時代の夢を託し、今日のクリエイティブの礎を築かれたと紹介する、前代未聞の広告を発表されました。しかもその中に有名な「ビールつくり三代」のアサヒビールの広告や「JR」のCIキャンペーンも併記されていました。梶さんってなんて幸せな方だろうと思い、いい広告主にめぐりあっておられることで、広告主とクリエイターとの信頼関係を思い、ふだんの広告づくりの心地よき関係を想像しました。「お別れの会」にその増刷分がおかれていました。天野祐吉さんが手にとってご覧になっていたので「こんなに素直な、これでもかこれでもかと押しつけてこない広告がつくれた、よい時代でしたね」といったら、お婆さんが後部座席にちょこんと正座している写真に「この幸せが 車のすべてを物語ります」というトヨタの企業広告をさして「この広告はよく覚えているなあ」とおっしゃいました。私は「ビールつくり三代」を強く覚えていて、たった一回の広告の持つインパクトに最敬礼してしまいました。

※Web上のバックナンバーは http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/199904/04toku1.html

梶さん流 梶さん主義

 後日、銀座のギャラリーで天野さんの「広告批評」展を見ましたが、そこにはもう梶さんの「これ見よがしでなく、力まず、ふだん着感覚で、素直でまじめな広告」ではなく、勝手に一歩踏み出した、企業がクリエイターに委ねすぎた「おもしろ派 奇をてらう派」の「おどる広告」が花形になっていて、テレビの影響をうけたエンターテインメント的な新聞広告ばかりになっていました。広告をおもしろくするのは大事ですが、梶さんの時代を知る者としては「越えない方がいい一線」がどこかにあると思っています。それは広告主の良識であり、クリエイターとの「静かなおとなの信頼関係」をベースに考えることだと思います。特に新聞広告では「広告をおもしろくする」の考え違いをして、広告づくりではしゃぎすぎてはいけないと私は思います。広告が少しずつけたたましくなっていくのは、広告の見え方や聞こえ方によい結果は与えないのではないでしょうか。だからいま「梶さん流 梶さん主義」を学び直したいのです。
 幸か不幸か、景気はよろしくなく広告の勢いが落ちています。素直で、実直で、これ見よがしでない広告を模索するまたとないチャンスにあるのではないでしょうか。
 銀座ミキモトの地階にあるレカンで、梶さんにご馳走になったことがあります。梶さんはお飲みにならないので私ひとりでおすすめのワインを空けてしまい、下品な奴と思われたでしょうが、今もレカンの前を通ると梶さんとの日を思い出し、その思い出だけは大切にしたくて思い出の店として封をしています。

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