こちら宣伝倶楽部 2007.3/vol.9-No.12

「説得広告」と「印象広告」
イラスト むかし、といっても40年ほど前のことだが広告には「説得広告」と「印象広告」があると教えてもらったことがある。専門書にもそのことはしばしば出てきて、久保田孝さんや市橋立彦さんが現役バリバリの先達で、こういう方々が説明してくださったと覚えている。今はもうほとんど死語化して、勉強会などでうっかり口をすべらせると、それはどんなものかと若い受講者から質問を受けることがある。広告の用語辞典などには出ているはずなのだが…。

新聞広告の時代は「説得広告」

 「説得広告」というのは論理型の広告で、わからせようと努力して作られた広告であり、その多くは説明のための文章が多く、時には図解やグラフがはいるケースもある。使った人の実証コメントが使われることもあり、どちらかといえばコピーライターががんばって作った広告であり、コピーライターの活躍の場が大きい。
 これに対して「印象広告」というのは感性型の広告で、表現の技術でインパクトをつけようと努力して作られる広告が多い。写真やイラストレーションの役割が大きく、デザインやレイアウトなどビジュアル・ショックを計算にいれた構成で、アート感覚を尊重、どちらかといえばデザイナーががんばって作った広告で、デザイナーがディレクションすることが多い。
 このふたつ、どちらがどうのでなく、どちらにも正論がある。この話を教えてもらった時はまだテレビは登場していなかった。広告といえば新聞広告であり、雑誌広告であり、電波といえばラジオががんばっていた時代だった。ご存じの通りテレビでCMが放送されたのは1953年、それも60年まではずっとモノクロ、大きなカメラ、熱いライトのなか、スタジオの隅で丸暗記の生コマーシャルが全盛だった。
 新聞広告の時代は「説得広告」全盛の時代であり、たくみな文章力で魅了した名作広告が続出したうえに、広告ズレしていない素直な読者(消費者)が、広告を素直に受け入れていった。広告界で今も大御所といわれる人は、新聞広告で経験を積み、新聞広告を通して独自の広告観を築きあげてきた人が多い。だから理論の軸がずれない。スキキライから広告を論じることはあまりない。新聞のカラー化が始まるにつれ新聞広告による「印象広告」の実験が大手広告主によりすすめられ、それが新聞広告の説得力を一段と上げ、広告の質を向上させ、クリエイターの若手参入をすすめていくことになった。

テレビ広告の時代は「印象広告」

 NHK東京がテレビの本放送を開始したのは1953年2月、1日4時間で月額受信料は200円だった。その後1975年10月に総理府から「カラーテレビはほぼ全世帯に普及」と発表され、テレビの時代が本格的に動きだした。
 初めのうちは新聞の時代の尾をひいて「説得広告」の考え方でCF(コマーシャル・フィルム 当時はフィルム時代でこう呼んでいた)を組み立てていった。しかし導入当初は多くの社に使っていただく配慮からか5秒CFというのもあり、それではとても「説得」は無理ということになり、そもそもテレビはそういうメディアではないという考えが主流になっていった。サービスとしてのエンターテインメントが広告にも求められていったことになる。番組の余韻を壊してはいけない、壊すわけにはいかないという配慮がいるという気づきだ。そんなことから、テレビ広告の時代は「印象広告」の時代に移っていくことになる。
 「きれい」「おもしろい」「新しくて珍しい」が広告に求められることになり、広告が番組の邪魔をしない方がよい、広告主が広告をして嫌われない方がよいという考え方をするようになっていく。広告が一種のサービスになっていくことになる。ここからあとはタレントや海外ロケや、音楽やCGの技術がからんでテレビ広告の空前のヒットと発展が続くのである。広告が学問になりあこがれの仕事になり、仕掛け人の黒子が臆面もなくおもてに出る時代につながっていく。その間いつのまにか広告は「説得広告」から「印象広告」に少しずつ重点が移って、多彩にはなったけれど、広告主にとってはなんだか手ごたえがはっきりしない、読者、消費者にとっては「よしッ」という気持ちにはなりにくい広告が増えたように感じるようになった。
 ゆっくりでいいから、少しずつ「説得広告」の考え方大事に戻したい、伝えるべきはきちんと伝えて、表現の技術と手法で「印象に残るもの」を目指すべきではないかといわれだした。

多メディア時代の軸足

 新聞広告の時代は「説得広告」、そしてテレビ広告の時代は「印象広告」、そして多メディア時代の広告の原型は再び「説得広告」の時代に移っていくのではないかということ。伝えるために広告をするなら、伝えるべきことをきちんと伝える説得の宿命を軸におくこと。説得は使命であり宿命と考え、印象はテクニックでありサービスと考えて「よくわかる美しくて感動的な広告」の設計をしなおすこと、そのためにテレビでなく新聞をまん中においた広告づくりを今年は研究してみてほしい。まん中におくとは予算配分をそこに集中するということではない。広告提供の良識の核をそこにおくということだ。新聞広告のカラーの進歩を活かして元来は「説得のメディア」で「印象広告」の研究をすすめることができるし、テレビという元来は「印象のメディア」で、シリーズ企画か長尺もので「説得広告」を試みるのも可能で、新鮮な活路が見えてくるかも知れない。
 既存のテレビショッピングの番組を見ていつも思うことは、テレビという「印象メディア」で、あれほど商品のことがよくわかる「説得広告」はなかろうという発見、次から次に説得のポイントをみつけて攻めてくるクリエイティブを見るにつけ、印象に溺れて説得を忘れた広告常識をしばしば反省してしまうのだ。
 さらに最近はテレビであれ新聞であれ、広告はネットへの橋渡しであり、詳しくはネットや本日(明日)の折り込みチラシでどうぞの案内役になっているものもあり、クロスメディア時代というのは結局「説得広告」「ご理解賜りたく広告」が基幹にくることになっている。「説得広告」の時代が「印象広告」の時代になり、今また「説得広告」の時代に戻そうという動き、そのなかで説得と印象をうまく組みあわせて広告をもっと多彩にしていこうとするのはこの時代には正しい。そのためには説得する価値のある情報を広告の中心におくことだ。
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