こちら宣伝倶楽部 2006.11/vol.9-No.8

「お詫び広告」と「企業広告」の関係
イラスト 新聞に出る「お詫びとお知らせ」広告を片っぱしからファイルして「今年どこの会社があやまったか」をリスト化し、その業種、内容、問題点、対応、企業意識、あと始末、通常の広告とのズレなど検証してみようかと思った。ところがあまりにもこの広告が続出してくるので、嫌気がさして中断してしまった。しかし今になってみればやっぱりやっておけばよかったと思っている。日本のものを作る企業はどこでどうなってしまったのだろうかと思ったりする。

「企業倫理」を考えるとき


 「お詫び広告」にはパターン化したお詫びだけではすまぬ事故もある。生命、財産にことが及んだ場合である。もちろん企業は意図してそんなことをするはずがないし、いざそうなった場合のダメージの大きさはわかっているはずだ。わかっていてそうなるには事情がある。
 技術の進歩が、人の能力を追い抜いてしまった場合がある。スピードと順応性の誤差だ。しかもものによっては、生産の現場を一部の発展途上国にゆだねてしまい、その誤差がさらに広まるようなこともありそうだ。ビジネス成果として売り上げが思うようにいかぬと、利益の確保に重点が移る場合もある。例えばコストダウンという至上命令だ。組織的に「よく考えられた省力やスマートな手抜き」が社内常識になると市場がちょっと遠のくことになる。これに商品力でなく価格による競争が現場意識として強くなってくると、質の低下にゆっくりと拍車がかかったりする。長期のスタンスでなく、短期決着のビジネスにかたよると心配ごとは増える。
 商品の本質的なことを極めていくのでなく、周辺の副次的なこと、例えば外観や包装、ネーミングや広告表現のことなど、それぞれが大切なのはわかるが、過度に商品ばなれしてしまうと、ものづくりの意識や使命感はあらぬ方へ行ってしまう。開発者の出番もなくなってしまう。
 不祥事のもとは企業倫理や対社会への誠実な姿勢、顧客尊重主義をどの位置に、どれくらい本気でおいているかに関係する。これが表面化すると「お詫び会見」「お詫び広告」「お詫び人事」の3点セットがついてまわる。新聞だけがもつ公共的、社会的特性のおかげで「お詫び広告」は新聞の独壇場になる。臨時もので割高になり、不祥事企業はつらい思いをしたうえに、さらに痛い思いをすることになる。わけあってそういうルールだが、正直いってなんとかならぬのかという気はする。

「新聞の正義」を考えるとき


 不祥事は不祥事、しかし媒体社にとってはふだんはよき広告主、お得意様でもある。広告会社とて同様だ。そのお得意様の一大事に、こういうとき何もすることができないのだろうか。
 割高感のある臨時ものの枠を緊急手配するだけでなく、傷ついた羊に1杯の水を与え、これからの厳しい山坂のための支援策に知恵を貸す手だてというのはないのだろうか。
 メディアにとっていろいろ事情があるのはわかる。おしのけて広告を掲載する調整の苦労がサービスになることも理解できる。しかしもっとコミュニケーションを密にして、窮地に立っている企業やブランドのちからになることは考えられないのだろうか。「お詫び広告」の新しい特別料金の研究があってもよいし、クリエイティブのアドバイスや「お詫びキャンペーン」のストーリーづくりに、蓄積されたノウハウの提供というのもあってよい。記事面でのサポートもお互いの立場を配慮し、内部調整もして何かちからになれないのだろうか。「お詫び広告」のあと事態の報告は多くの生活者が期待していると思うのだ。最近は行政の指導もあるらしく「中間報告」もみられるようになったが、企業のまじめな情報提供が不信をやわらげていく。
 腑におちないことがある。詳細は略するが財務省データなどでは、全産業の売上高は前年比で6・2%増、経常利益は同15・6%増で、売り上げは3年連続、経常利益は4年連続の増加になっている。また、国内の製造業だけをみた上場企業の損益分岐点比率は77・5%、バブル期以降で最低となって、黒字企業の多いことも報告されている。こういったなかで、メーカー企業から不都合な商品が続発するのは、単に効率優先や売価競争だけに理由があるとは思えなくなり、企業倫理の伝承や、それを企業文化にまで高めることができない背景を、それらの企業が抱えこんでいるからではないだろうか。

「企業広告」を考えるとき

 「お詫びとお知らせ」の広告が増えているのと関係があるのかないのか、このところ俗にいう「企業広告」への関心が高い。気合のはいった広告も多い。ブランド寄りのスタンスで商品やサービスについて語る堂々感のある広告が増えている。企業イメージの再構築が必要と思い出した背景には、企業イメージが現実と遊離してしまったか、思いきった方向転換を必要としているからといえ、その理由や事情は当人にはわかっているはずだ。コーポレートブランドの再構築はその社の求心力を強くするための必要ごとであり、長期のまなざしを忘れた経営への反省と気づきだと思っている。企業が毅然さを忘れてきた気の緩みが、改めて全体力をつけなおすために、多分に内部対策に重点をおいた広告への期待とみてもよいだろう。
 「お詫び広告」をして一段落つき、ひと呼吸おいて内部もやや波静かになったところで、ブランドの平熱復帰を伝える広告は研究されてもよい。これは「企業広告」というより「報告をかねたごあいさつ広告」であり、これに「企業広告」を作るときのひねりを加えれば、マイナスを少しずつプラスに転じていくちからになるかも知れない。お詫びだけでは立ち直りにくいと思うからだ。「お詫び広告」のすぐあとの「企業広告」では、なぜか広告そのものを軽視しているような印象があるし、消費者や市場をいささか甘く見ているような気もする。広告の読者というのはそう簡単に発生した事故や事件と、それにかかわった企業やブランドのことを忘れたりはしない。ほとぼりもさめぬうちの、ひねりのない「企業広告」は決してその社のためにならず、むしろそのあとに続く通常の広告を、より厳しく見ていく口火になる可能性もある。
 「お詫びとお知らせ広告」だけなら実にあと味が悪い。しかし事後のたくみなコミュニケーション企画と計画は、うまくいけばよい余韻を残すはずだ。新しい広告スタイルが課題になる。
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