立ち読み広告 2006.10/vol.9-No.7

「読みかけの名作」を、今こそ読破する時。
 若いころ、大人たちから「もっと古典を読みなさい」と言われると反発した。はるか昔に書かれたものなんて、博物館の剥製みたいなもので、ちっとも面白くないと思っていた。だから読むのはもっぱら現代文学、聴くのは現代音楽ばかりだった。
 ところが中年になると、急に古典が面白く感じられてきた。きっかけは何だったのだろう。ちょうど『白鯨』や『嵐が丘』の新訳が話題になったころだ。古くさくて退屈だと思っていた古典が、生き生きとした現代の日本語で甦った。あらためて読みなおすと、長いあいだ多くの人に読み継がれてきた古典には、深みと広がりと普遍性があった。新訳で古典の面白さを知ると、こんどは古い訳も読んでみたくなる。
 
忘れていた読書の愉しみが再燃

 9月7日の朝刊、第3面を開くと、「古典、新訳で。」というコピーが目に飛び込んできた。最近のマイブームである「古典」と「新訳」が一体になっている。これは私のために作られた広告だ! と思ったほどである。光文社が「光文社古典新訳文庫」を創刊したのだ。古典の新訳だけでシリーズにするとは、なんと大胆な。 「豊かな読書の愉しみを最近忘れていた、そんな想いはありませんか?」「名作といわれる翻訳作品の読書を、途中でやめてしまったことはありませんか?」という言葉に激しく同意してしまう。そうなんだ、その通りなんだよ。

豪華な翻訳陣の共演

 第1回配本のラインアップが素晴らしい。まずはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟1』。訳は亀山郁夫だ。私が持っている原卓也訳とどう違っているのか気になる。バタイユの『マダム・エドワルダ/目玉の話』は中条省平訳。生田耕作訳の『マダム・エドワルダ』、『眼球譚』を愛読してきた私としては、「生田V.S.中条」の対決を見るような気分である。
 変わったのは翻訳だけではない。著者名や作品名の表記にも変化がある。『眼球譚』から『目玉の話』への変更もそうだが、『初恋』(沼野恭子訳)の著者は「ツルゲーネフ」ではなく「トゥルゲーネフ」に、サン=テグジュペリの『星の王子さま』は原題により近い『ちいさな王子』(野崎歓訳)になっている。
 それにしても、なんて豪華な翻訳陣だろう。ロシア文学の亀山、沼野やフランス文学の中条、野崎のほか、ケストナー『飛ぶ教室』が丘沢静也でカント『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』が中山元。こうして広告を書き写しているだけで興奮してくるではないか。

手軽さはコーヒー1杯に匹敵

 古典新訳文庫ではあるけれども、出すのは新訳だけに限らない。第1回配本にはロダーリ『猫とともに去りぬ』(関口英子訳)もラインアップされている。本邦初訳のイタリア文学のようだ。現代イタリアというとイタロ・カルヴィーノぐらいしか知らなかったから、ぜひこれも読んでみたい。
 さっそく書店で手に取ってみた。木佐塔一郎のデザインと望月通陽の装画がしっくりと落ち着いている。本文も字が大きくて読みやすい。若者だけでなく、「古典、ふたたび」という気分の中高年にもありがたい。これがわずかコーヒー1杯分、昼食1回分ほどのお金で自分のものにできるのだから、本は安い!

9月7日 朝刊
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