特集 2006.9/vol.9-No.6

今、なぜ、企業広告なのか?
 企業イメージの向上、コーポレートブランドの構築、リクルート効果、社内の活性化など、企業広告にはさまざまな目的がある。最近は、企業の社会的責任が問われる中、B to C企業だけでなくB to B企業の中にも積極的に企業広告に取り組むところが目立ってきた。今、なぜ、企業広告が必要なのか。実際に展開している企業のケースを通じて見えてきたのは、企業活動を円滑に進めるための環境整備に企業広告を活用していくという動きや、広告と広報を連携させた企業コミュニケーションを行っていこうという発想だ。さらに、経営と連動させ、会社の無形資産を増やすことを企業広告の目的とするべきだという新しい考え方についても探った。

B to B 企業に企業広告が必要な理由

 村田製作所は1944年の創業以来、セラミックスをベースとした数々の電子部品、モジュールを作ってきた会社だ。世界市場で高シェアを誇るものも少なくない。製品の内部にある部品であるために一般消費者がムラタ製品を目にすることはほとんどないが、企業としての知名度は高い。村田製作所が企業広告に積極的に取り組む理由は、どこにあるのだろうか。

――村田製作所はBtoB企業ですが、企業広告にも積極的ですね。
 私が勝手につくった言葉ですが、村田製作所はBtoBではなくてFtoF(Factory to Factory)の会社だと思っています。同じBtoBと言われている企業でも事務機器ならオフィスに行けばいっぱいあるわけで、一般の社会人がかなり知っている。
 ところが村田製作所の製品は電子部品ですから、自社の工場から納入先の工場に直行し製品の中に組み込まれてしまいます。製品の中をのぞいても、部品の大きさは0.2ミリくらいのものからありますから、ほとんど見えない。マークもmuRataでは長過ぎて入らないので、商品によってはCMというマークが入っているだけなんです。極端に言ったら村田製作所の社員でさえ、まともに見たことがない製品も多い。だから、企業はBtoC、BtoBだけではくくれないと思うんですね。
 実は、村田製作所のような企業は意外にあって、自動車の部品メーカーも同じFtoFですよね。取引も現場同士で決まってしまいますから、商品広告をやる必要はないし、当然、広告予算も少ない。そのため、一般には会社の知名度もない会社がほとんどです。

知名度を上げて人材獲得


――そういう村田製作所が企業広告に取り組み始めた理由は、何だったのでしょう。
 バブル期の1989年ぐらいに技術系の学生が極端にメーカー離れを起こしたことが理由です。最近もまた、そういう傾向が出てきたのですが、金融機関に行く技術系の学生が多くなった。また、メーカーに行くとしても、村田製作所とセットメーカー(完成品メーカー)の両方に受かったときは、どうしてもセットメーカーを選択してしまいます。電子部品メーカーの実態、例えば会社の利益率や給与水準を冷静に判断してもらえば、実はそれほど遜色はないと思うのですが、やはり、学生が就職先を決めるときには、会社の知名度が大きく影響します。
 ですから、企業広告を始めたのは、「ブランド」というような大上段に構えたものではなく、会社の「知名度」を上げる必要があったということです。有名企業に就職したいというのは人情です。知名度のない会社はなかなか選ばない。万一受かったとしても、親御さんや友人から「そんな知らない会社、なんで入るの」と言われるとぐらつく。
 われわれ社員も、親類かどこかに行くと、たいがい勤務先が話題になりますね。「どこに勤めてる?」「村田製作所」。ぼくらが期待するのは、「知っている」「いい会社だね」「しっかりした経営してるね」という答えなんですが、「え、何の会社?」と返ってくる。まず、そこから始まるわけです。社員にとっても、社員の家族にとっても、「よく知ってるよ」「ああ、いい会社だね」と言ってもらえることが、大きな活力になるわけです。自分の会社が注目されていると思うだけで、行動も積極的になってくるんですね。

――企業広告を始めることに異論は出なかったのですか。
 それは、ありましたね。「別に会社が有名にならなくても、取引先に対しての商品ブランド力はあるわけだから、それでいいじゃないか」。それから、学生に対しても、「本気で勤めたいと考えている人は真剣に企業を調べるよ」「広告に影響されてくる学生は、信頼できない」という声も一部にはありました。

――技術系のメーカー離れが、それ以上に深刻だった?
 そうです。世の中にある全部の会社を調べて、それで「ムラタ」にどうしても入りたいと言ってくれるのが確かに理想ですけど、企業がこれだけたくさんありますから、そんなことはありえないわけです。技術系の学生に限らず、この世の中に村田製作所という会社があることを知ってもらって、どんな会社か興味を持ってもらうことがとにかく必要だったということです。関心さえ持ってもらえれば、後は調べてもらえればいい。そうすれば、有名な企業とそんなに遜色ない、あるいは誇ってもいい会社だとわかるはずという自負もありましたから。

広報と広告の連携の必要性


――本格的に企業広告を始めたのは1991年とうかがっていますが。
 実際の活動は1989年から始めています。ただ、最初の1、2年は予算が少なかったこともあり、広報活動を中心に展開し、トップに積極的に取材に対応してもらったり、新製品や技術の発表を行っていました。しかし、プレス発表しても電子部品メーカーですから限界があるんです。自動車がモデルチェンジした、新しいお菓子ができたなら記事として取り上げられやすいですが、どんなにいい新製品を作っても専門技術に関することですから、記事にはなかなか取り上げられない。書いてもらったとしても、読む人もわからないですから、関心も引かないわけです。
 やはり、広報に力を入れるにしても、広告と連携しないとうまくいかない。広告で、企業の名前がそこそこ知られれば、たまには記事にも取り上げてもらえるだろうし、読者も、「あ、例の会社だ」と思って読んでくれるだろう。そういう良い方向に、すべてが回っていくだろうということで、91年から予算を増やしてもらいました。

――当然、反対もあった?
 反対はありませんでしたが、コストにシビアなメーカーですから「それでいくらもうかるの? いくら売り上げが増えるの?」という意見があったのは確かです。ただ、先ほども言ったように、会社の知名度を上げなければ優れた学生が採用できないという、かなり切迫した問題が背景にあったわけで、そういう議論は出たとしても、最後は「やらなきゃいかんな」ということにはなったわけです。経営トップの交代、創業50周年という節目で社内を活性化したいという空気もトリガーにはなりましたね。

広告表現は専門家を信頼する

――マス広告を使った最初の企業広告が、「村田製作所はなにをセイサクしているんだろう」という広告ですね。
 では、どんな広告をするか。私たちは広告について素人でしたから、まず考えたのは、いかにいい広告会社、制作スタッフについてもらうかということです。予算から考えて、広告を東京と大阪に集中しようということはこちらで考えましたが、広告の表現方法は専門家にお任せした。そのときに、私が1つだけお願いしたのは、「長期的な展望に立った広告を」ということです。重たい車をグーッと出すように、まずローからゆっくりと、しかし力強くスタートして、惰性をつけてほしい。それさえ成功すれば、割と良い経営環境にある会社だから、長く続けられる。それだけお願いした。部品メーカーというのはコストにシビアですから、失敗したら1年でやめてしまう可能性も考えました。だから、広告会社にも、いいスタッフを選んでくれと最初にお願いしたんです。

――それが関西電通とサンアドのチームだったわけですね。
 私と両社の2人のリーダーともほぼ同い年で、ちょうど40歳あたりの時でしたね。それから、十数年同じリーダーで制作してもらっていますが、BtoBの企業広告は制作者魂を鼓舞するらしいんです。具体的な商品があるわけではないので、制作者の工夫が発揮できる。ある意味何をやってもいい。ただ、面白ければ何をやってもいいということではなく、「ムラタセイサクショ」「エレクトロニクス」「メーカー」だけはきちんと伝えること。それと一定の品格だけは守ってもらうようにお願いしています。
 1年目は「村田製作所はなにをセイサクしているんだろう」という文字だけのテレビコマーシャルです。タレントも出てこない、画面も暗い、音楽もない。新聞広告も同じ内容です。私も初めは本当にビックリしましたね。確かに強いインパクトがあって奇妙な存在感があるけれど、こんな暗い広告、世の中に受け入れられるのだろうかと内心思いつつ、役員会で見てもらいました。予想していたとおり、疑問の声は出たのですが、最後に社長の「これはみなさんではなくて、学生や一般社会にわかってもらうための広告です」という一声でゴーサインが出ました。

――広告を出した後の社内の評判はどうだったんですか。
 広告を出したこと自体は大いに喜んでもらえました。表現内容についてはものすごく良かったという声と、もっといい明るい広告にして欲しいの2つに分かれましたね。評判が良かったのは特に東京です。その時たまたま、栗本鐵工所さんも企業広告をやっていて、読売新聞の記者に「今や、当社のように素材メーカーが企業広告をやる時代になった」という話をしたら、それが割合大きな記事になって、社内でも企業広告の意義と効果を認知してもらえました。

――実際の広告効果はどうだったのでしょう。
 日経の企業イメージ調査では、88年に42%だった知名度が91年のキャンペーンが終わった後の調査では75%までいきました。

――たった1度のキャンペーンだけで?
 「なぜ成功したんですか?」とよく聞かれるのですが、必ずしも広告費をかけたからではないと思います。事実当社から見れば高額でも常識的にはそれほどの予算ではありませんでした。やはり訴える中身を絞ったこと。どこに、誰に対して広告を打つのか目的とターゲットを絞ったことですね。株価を上げるための知名度アップなのか、新卒の獲得を目指すのか。それによってメッセージの中身が違うと思うのです。

進化する企業広告

1月4日 朝刊
1月4日 朝刊
――今年の広告は「ムラタセイサク君」という止まっても倒れない自転車型ロボットですが、話題になっていますね。「ムラタセイサク君」は2代目だと思いますが。
 十数年前に「ムラタセイサク君」を作って、広告の主人公にしたのですが、その印象を強く持ちながら入社した人たちがいるんです。そうした生産技術の若い人たちが中心になって今度の「ムラタセイサク君」は作られた。それと、会社としても、いかにムラタの部品が商品の中で仕事をしているか、可能性を秘めているか、具体的に示したい時期でもあったということが重なって今回の広告になったということです。

継続することの重要性

村田製作所が開発した自転車型ロボット「ムラタセイサク君」
――「ムラタセイサク君」は、村田製作所の技術力を一般の人たちにも具体的にわかってもらえる象徴になっていますね。
 ロボットメーカーと思われても困るのですが(笑)。でも、ムラタを意識するきっかけとして、それでもいいと思っているんです。多くの人たちが関心を持ってくれたら。
 十数年企業広告を続けてきて、会社の知名度も90%以上に上がっています。これ以上知名度を上げようと思っても効率が悪いだけなんですね。ですから、数年前から、企業理念、企業メッセージを伝えるシリーズを展開してきました。今回は、「ムラタセイサク君」という具体的な形を通して、何を作っている会社なのか、こういうことを実は実現できる会社なんだということを見せることができたと思います。
 また、企業広告を継続してきた成果として、会社の一流評価が上がってきました。実は、一流評価と就職意向というのは相関しているんです。確かに「一流とは何か」と聞かれたら説明は難しいですが、技術、経営、雇用条件など、いろいろな要素が全部合わさって作り上げられるイメージだと思うのです。それが最終的に学生の就職意向に影響しているのは確かだと思います。

――一流のイメージを上げることも最初から狙っていた?
 いや、段階的にですね。まず最初は知名度。ある程度知名度が上がったら、会社が何をやっているか説明を加えていく。次に企業メッセージ、企業姿勢を伝えることによって、それが一流評価を上げていく。ただ、知名度を上げるほどには、会社の理解促進や企業姿勢を伝えることは、簡単ではないんです。
 BtoB企業は広告予算も限られています。しかし、年末年始のテレビと新聞を使った集中的なキャンペーンでも、これまで継続して来たからこそ、今の知名度や評価があると思います。

――今後の展開は、どのようなことを考えていますか。
 社内を活性化させようという動きがあるので、それとの連動を考えています。もう1つは、もう少しターゲットを広げて、子どもたちに科学への関心をもってもらう活動を広げていこうと思っています。子どもたちが大きくなったとき、ムラタが相変わらずいい会社であれば、彼らがまた次の時代のムラタを作っていってくれる。そういう良い循環を期待しています。
 最後に言わせていただきたいことがあります。それは、企業広告は、結局、企業の実態のどこに焦点を当てるかだということです。マスコミの立場で書きたいテーマがある。他方、企業が訴えたいテーマがある。それをそのまま伝えられるのが広告です。大事なのは、常に実態に光を当てるのであって、うそであってはいけないということです。広告にひかれて入社してみたら、実態と違うではやはり許されない。広告も1つの広報活動というのが、私の考えです。会社を飾るのではなく、本当の姿のある部分にスポットを当てて見てもらう。それが企業広告のあるべき姿だと思っています。



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