こちら宣伝倶楽部 2006.6/vol.9-No.3

テレビCMでは伝わりにくいこと
イラスト 広告会社がまとめた昨年の日本の総広告費は5兆9,625億円(前年の1.8%増)だったが、4媒体で見るとその合計の前年比は99.3%、各メディアとも前年をすずめの涙ほど割り込んで腑甲斐ないことだった。
 問題はその構成比、つまり広告主はこの4媒体にどれくらい予算を投入したか、どのメディアに重点をおいてたよりにしたかということ。もちろん単価や必要最低額が別々なので簡単に比べて議論するには無理がないわけではないが。

(1)日本のCMはどこか貧乏くさい

 構成比をまとめてみると下表のようになる。テレビに34.2%もかけていることになり、金額にすると2兆436億円になる。新聞は17.4%、金額では1兆377億円、テレビの大体半分になると同時に、テレビと新聞で全媒体費の約半分ということにもなる。
 テレビへの依存度が高く見えるが、それだけコストがかかってリスクの高いメディアということにもなる。宣伝費をコストと考え、経費視する社風にあると、宣伝部の責任意識は「テレビから解決し決裁をとっていく社内調整」に重点がかかる。クリエイティブはテレビから議論していくから新聞広告が大雑把になる。広告対象商品の多い社だと10人以上のタレントと契約してしまうのが普通になり、ほとんどはCM一回きりの撮影チャンスだから、新聞を使った緊急性をアイデアにした小回りをきかせた広告をつくることに不器用になる。当初にきめたスケジュール管理をもとにした広告づくりは、おもしろい広告をつくるクリエイティブの自由奔放さを失っていく心配がある。これだけテレビにウエートをおいているのに、このところカンヌなどで日本のCMの人気は低く、ブーイングが続くと聞く。日本のCMが駄目なのは、15秒のチマチマCMが多いこと。つまり幼稚で貧乏くさいことと、そのなかにあれもこれもと詰めこみ未練がましいことや、タレントなど周辺の要素に力点をおきすぎることなど、広告の焦点がそれてしまっているからだ。

(2)広告は本当に伝わっているか

 冒頭で、広告費の34.2%をテレビにかけているといった。しかし大手といわれるところほどこの比率はもっと高くて、実際には70%をこえるテレビ依存度の社は多い。それだけ他のメディアは格安というか、テレビは高すぎるということでもあり、広告会社などはテレビを主体にしたビジネスモデルの正当性を提案の基準にしようとする。広告主がしっかりしなければならぬのはこのところである。
 さらに気にしておきたいこともある。企業がまじめに作ったCMをビジネスの素材にしすぎるという批判も一部にあるが、民間の専門会社がまとめた調査だと、オンエアされたCMのうち45.3%の企業の、63.8%の銘柄の、62.2%の作品は好感反応なし、つまり右から左へ消え去ったCMという報告もある。CMの完成度やタイミング、量との関係もあるだろうが、こちらで勝手に計算させていただくと、テレビ広告費2兆436億円のうち、作品換算で約1兆2,700億円はその社に広告的貢献をしなかったことになる。景気回復基調といわれるなか、まだまだ厳しい締め上げや経費管理を続けようとする経営上層部からみれば、この事実をどのように感じとるのだろうか。もちろんこんなことを、のこのこと経営上層部に報告する広告会社や、宣伝部長というのはない。
 広告主は自らの意志と決意で、テレビというメディアといかに向きあっていくか考えるときがきている。営業部隊の広告不勉強ということもある。宣伝部の社内啓蒙が急務になり、得意先バイヤーのいうことをストレートに反映する腰の弱さもなんとかせねばならぬ。「広告」イコール「テレビ」という小常識が、結局自社の全体的広告力を弱めてしまっているのではないかという素朴な疑問にも気づいた方がよい。当面の、すぐ足もとのことしか考えない広告の計画や設計についても反省する点は多すぎる。

(3)「社格」はあるけど「社望」がない

 何をいおうとしているのか、何の広告かわからない広告、とくにテレビCMにそれが多いという意見が多い。それを軸にした広告とクリエイティブの設計だと、広告全体が「よくわからない、伝わらない」にはしり、「もう一歩ふみこんでほしい」広告が待たれるようになり、広告の基本であったはずの「親切・ていねい・わかりやすい」がどこかへ行ってしまう。
 世の中、これだけ不正や不祥事が増え、企業不信や不満が増え、企業やブランドをクールな目で見つめなおす、まるで株主みたいな生活者が増えてくると、企業は一方的な論調で商品に関する自慢情報だけ流せばよいという環境でなくなってきている。社長が収監されたり、経営陣がいっせいに有罪判決をくう時代ともなれば、企業はその企業のことについて、経営の魂のようなものを語らねばならぬ機会が増える。とくに同じようなものを同じようにつくり、同じような時に同じような場で売ろうとし、同じような広告やキャンペーンを繰り広げようとすることばかり増えると、なにか一線をひいて一目おかせるコミュニケーションの工夫がいる。
 人でいえば人格、人品、人望が大切なように、企業もブランドも身づくろいしなおして、人格ならぬ社格、人品ならぬ社品、人望ならぬ社望を考えて、その理解をすすめ、支援者をつくりなおしていく仕事を考えることを必要としている。人格はあるけど人望のない人がいるように、立派な「社格」はあるけれど「社望」のない企業やブランドというのは結構ある。このことがこれからいよいよ大切になる時代がきて、企業のコミュニケーション活動の再編を考えねばならぬときがくる。テレビ偏重でそのことがはかどるのかどうか、そういう仕事ができる宣伝部やおとなのクリエイターは調っているのかどうか、これはこれで課題になるはずだ。
 新聞のもつ媒体特性と、これの新しい活用やつきあいを考えて、力点移動させるのは今だ。
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