Creativeが生まれる場所 2006.6/vol.9-No.3

キユーピー デジタル化された脳に語りかける“自然”
秋山 晶 氏  キユーピーの広告は、頑固なまでに一貫したスタイルで貫かれている。そのキユーピーの広告を40年以上にわたり手掛けているのが秋山氏だ。今年、キユーピーは「都市のサプリメントは野菜です。」をスローガンに、新たなキャンペーンを始めた。舞台も同じニューヨークで、20年前の「都市とマヨネーズ」を彷彿とさせる。時代の変化に対応する広告・コピーとは、そして今回のキャンペーンで訴えたいことは何か。

――今回のキャンペーンは、これまでの「都市とマヨネーズ」の延長線にある気がします。
 その21世紀版ですね。テレビ、新聞、雑誌、すべてのメディアに連動したキャンペーンです。

――新聞、雑誌はセントラルパークを背景に野菜が空中に浮かんでいるビジュアル、テレビCMは、ニューヨークの上空をレタスが微妙に揺れながら飛んでいる不思議な映像でしたが。

 伝えたい内容は同じでも、新聞・雑誌とテレビでは違う表現が必要です。テレビは、瞬間の積み重ね、繰り返しなんですね。だから、一目でパッとわからなければいけない。逆に、新聞広告は入り口があって出口がある。キャッチフレーズから入って、最後まで読んでもらうことでメッセージの全貌がわかるつくりをしています。それが、スタンダードな新聞広告だと思っています。

キユーピー テレビCMのひとこま
キユーピー テレビCMのひとこま


脳のリズムに合わせたコピー

――新聞広告を読んでもらうには、そのための工夫があると思うのですが。
 だから、コピーを文字という物質であると同時に、目から入る情報として書いているんですね。

――どういうことですか?
 物質としての文字は、ものとして美しくなければいけません。漢字とひらがなのバランス、行の送りが美しくなければいけない。そうすることでメッセージの意味が伝わりやすくなります。
 それから、とくに新聞広告に言えることですが、一つの広告には一つのスタイルがなければいけないと思っています。そのスタイルにも二つあって、一つはイメージのスタイルです。文字も含めてどのようにイメージを現実の二次元の映像にするかです。
 もう一つは、コピーのスタイル、文体です。LPレコードのころは時代がゆっくりしていたから、文章としてのコピーであり得た。それが今は、LPがCDになり、フィルムがDVDになって、音も絵もデジタル化されて脳のリズムもそれに合わせるようになっています。デジタルデータは、音も映像も実は途切れている。今の人は、途切れたデータを頭の中で埋めることに慣れています。昔のままの感覚でコピーを書いていると、読む人のリズムが以前とは違うので、気持ちが離れていってしまうんですね。だから、そういう脳の意識と心拍数に合わせてコピーを書いているわけです。
 例えば、以前の「都市とマヨネーズ」のコピーでは、「あなた」と書くべきところをカタカナの「ヒト」にしていた。「ヒトはひとつの自然だ」が、「都市とマヨネーズ」の時代のコピーです。今回の「忘れているが、あなたはひとつの自然だ」では、そのヒトを「あなた」と言い換えることで、若干インタラクティブな方向に近づけている。しかし、コピーとしてはまだ足りない。そこに「忘れているが」と付け加えることで、一方通行から双方向のコピーになり、読んでみようという気にさせるわけです。

――そういうコピーは、コピーライターの感覚でつくるものなのでしょうか。
 感覚ではなくて、考える深度の問題だと思いますね。今の時代、イメージは個人差がありますが、情報は地域、男女にかかわらず結構共有されていると思うのです。ですから、無意識に思っていることには共通するものがある。それをごく普通の言葉で表現できれば、人の心にすんなり入力されると思うのです。

――実際にコピーはどのように作られているのですか。
 ぼくにとってものを書くというのは、家の小さな屋上につくられた庭で、草むしりをするイメージなんです。一本一本の草が字になって、いつの間にか書けている。原稿の場合は特にそうですね。
 コピーの場合は、ホテルのベッドや事務所の部屋にソファがあるのですが、そこで寝ながらボディーコピーも含めて、とにかくイメージしたものをノートに全部書いていく。そこでいったん終了し、翌日机に向かってノートと対峙し、その中の2、3本を形にして、最後に「てにをは」を直すという形ですね。根がなまけ者ですから、理想通りにはなかなか行かないですが。

――1日置くというのは、なぜですか。

 終わった直後は、ヘタな文章を見るのが怖いです。それが一日置くと他人事になる。他人の文章をチェックしているみたいに見られるんです。コピーにとって、客観性は絶対大事です。

新聞広告はマイルストーン

――過去に掲載されたコピーの中で、今になって直したいものがいくつかあると、聞いたことがあるのですが。

 掲載された当初はよかったけれど塀際で捕られた、みたいなコピーはいっぱいありますね(笑)。一字違いでスタンドに入ったのに、というのはままある。

――それは、新聞広告もテレビCMも変わらない?

 テレビはあまり後悔しません。そういうメディアなんです。別に手を抜いているわけではなくて、瞬間媒体であると同時に音声が中心だからです。そういう意味では、新聞が一番後悔するメディアなんじゃないでしょうか。新聞広告は後に残るし、掲載料も決して安くはない。だから、後悔のないコピーを書くようにしよう、という気持ちが常にありますね。

――新聞が他のメディアと最も違うところはどこでしょうか。

 キユーピーに限らず、すべての新聞広告には、その企業やブランドの過去と未来があると思うのです。新聞広告は朝見るものですが、その朝は昨日から続いていて、また明日に続いている。企業やブランドのコミュニケーションフローの今日というマイルストーン、それが新聞広告だと思うのです。
 すべての新聞広告は、過去からつながっていて未来へ続いていくものです。その今日という断面、あるいはスポットと言ってもいい、それがぼくの新聞広告に対する本質的な考えです。新聞広告には、時間軸があるんです。

広告に後退はない

――1つのブランドを同じクリエイターが40年任されている例は、あまりないと思うのですが。

 アメリカの広告会社、ドイル・デーン・バーンバック(DDB)のフォルクス・ワーゲンの広告がありますね。去年、同社の会長に会いましたが、まだやっていました。でも、長く続けていくことは、実につらいことです。つらいを超えているんじゃないですかね。まだ快感はわかないけど、マゾっぽくなってくる(笑)。しかし、そうしないと、やはりいいものはできない。絶対後退したらダメなんです。

3月1日 朝刊
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