特集 2002.4/vol.5-No.1


 テレビコマーシャルが主流になる中でメッセージを伝えるという広告の役割が希薄になってしまった。アートディレクターの副田高行氏はそう語る。今年の元日に新聞に掲載された全日空の「ニューヨークへ、行こう。」は、副田氏のデザインだ。広告の要素をすべて排除した新聞広告は、逆に、社会に対して確かなメッセージを伝えた。広告の力は何から生まれてくるのか。副田氏に聞いた。
 
クリエイティブの力 ――広告効果についての議論が盛んですが。
 ぼくらは芸術家でも何でもなくて、商品を売りたい、企業イメージを上げたいという広告主の意向が一番よく届く方法を考え、表現するのが仕事です。だから、広告主側にいい広告をつくって世の中に伝えたいという強い意思がないとできない仕事なんです。
 ところが、実際は毎年決まった広告予算をただ単に消化している場合が多い。そういう環境からは、世の中に衝撃を与えるような広告は生まれにくいし、表現もなんとなく平板なものになってしまう。そうすると、コピーも読まれないし、広告効果も薄れていってしまうことになるのだと思います。
 ぼくはグラフィック広告にずっと専念してきたのですが、広告が効かなくなったもう一つの原因は、いつのころからかテレビコマーシャルが広告の中心に座るようになったこともあると思います。どうしてもキャンペーンを考えるときに、先にCMチームをつくって、まずプランナーがおもしろいコマーシャルの企画を考える。そして、グラフィックの媒体予算はとりあえず新聞広告1回にしとこう、なんて、テレビコマーシャルのタレントを使って安易に連動させる。そこに表現はそんなに求めないというように、新聞広告はいつの間にかテレビコマーシャルのサブ媒体になってしまった。

――新聞中心とテレビ中心の広告づくりの違いは、どの辺にあるのでしょう。
 以前は新聞広告が広告の中心でした。広告のメッセージが一番伝えやすいのは、やはり読まれるメディアです。それは、ポスターでもテレビコマーシャルでもなくて、やはり新聞なんです。その中に掲載される広告は一番読まれやすい。
 ところが、メッセージを伝えるという広告の役割が時代の流れの中で希薄になってきて、テレビコマーシャルが主流になると、広告はヒットすることが命題になってしまった。「受ける」とか「おもしろい」が基準になって、人気タレントを使ったり、駄洒落っぽいコマーシャルが多くなり、受けねらいのコマーシャルだけになってしまった。
 そうすると、そこにはあまりコピー、言葉が介在する余地がなくなって、最後にちょっと押さえの1行が仕方なくついているという感じになってしまった。

広告はリトマス試験紙

――新聞広告が置かれている状況をどう思いますか。
 世の中の流れとともに、いろいろなメディアが出てきて、インターネットで情報を得るという若者が増えている。もちろん新聞広告もおもしろくならないといけないけれど、新聞自体ももっとおもしろくならないといけないと思いますね。
 というのは、読者は新聞広告を見るために新聞を取っていないからです。ぼくら新聞広告をつくっている人間は、やはり記事に負けまいと思っている。読者は自分が気になる記事は一生懸命読む。広告はその横にある。それは記事と違って基本的に見られないものだから、読者を振り向かせる力を広告自体が持ってないといけない。

――そのために、クリエイターはどんな努力をするのですか。
 やはり、商品特性や価格設定も含めて、その商品が本当に必要なのかというところから考える必要があります。
 例えば、ユニクロは安くていいモノを世の中に供給しようというすばらしいスピリットを持っている。そのために糸も自分たちでつくったりしている。企業にそういう意思があるから、広告表現に反映されるわけです。1900円のフリースが、製品もいいし写真のクオリティーもいいから、5000円にも1万円にも見えるんですよ。だから、広告としても成立しているし、読者も満足して買えるんです。逆に言えば、1900円のフリースが価値を生むか生まないかということが、広告表現にもかかわってくる。
 企業と広告表現は不可分のものだから、どうしようもない商品はすばらしい広告をつくっても売れないんですよ。そういう意味では、ぼくは広告は“リトマス試験紙”だと思っています。広告が目立てば目立つほどわっと皆が買うから、悪いものは悪いと発覚しちゃう。いまは、本当にいいものを世の中に送り出しているいい企業が残っていく。そういう意味でも、やはりサバイバルの時代ですよね。

タレントと媒体特性

――タレントCM偏重の弊害も言われていますね。
 タレントを使ったキャンペーンはどうしてもコマーシャルが中心になる。そのタレントのキャラクターであるとか、おもしろさは、やはり動きの中や台詞で生きてくるんですよね。印刷媒体の場合、タレントがただ商品を持っている写真を撮っても、それほど意味がなかったりします。メディア特性を考えた広告づくりが大切なんです。
 せっかく契約したんだから何にでも使おうと思っても、それが不向きなメディアもある。新聞広告の力が弱まっているとしたら、たぶん、そういう流れでつくられてるからだと思います。
 ぼくらは制作費の予算がないと言われて、きつい中でいろいろやっていますが、タレントに使う分をもっと制作費に回してもらえたら、タレントを使わなくてもいいクリエイティブを考えますよ、と言いたいですね。
 テレビはつけてさえいれば一方的にしゃべってくるメディアで、新聞はこちらから見ようと思わなければただの紙ですよね。一般にはテレビの方が効果があって新聞はないと思われているのでしょうが、それはたぶん誤解なんだと思う。いい広告を打てば、ちゃんと注目もされるし効果も生まれる。そういう努力をしていないから反応がないだけだと思いますね。

新聞だからできた表現

――全日空の正月広告「ニューヨークへ、行こう。」は、副田さんのデザインですね。
 正月広告というのは、以前から一流クリエイターが、世の中への生活提案も含めてさまざまなメッセージを伝えていました。正月の新聞広告に、その年のキャンペーンのキーワードが出てきて、それで1年間その企業の広告活動が展開されていくというスタイルだった。正月広告は、その原点になるメッセージを伝えるという意味で広告活動の中心でしたが、最近の正月広告には、それが感じられないですね。
 昨年はアメリカの同時テロがあったり、不景気がずっと続いたりで、今年の正月広告には、企業も派手な広告を控えようみたいな気分を感じました。悪い循環になると、すべてがどんどん悪くなる。一制作者としては自分がかかわっているものでいい仕事をしようと思っているだけなのですが、広告はやはり経済の最前線にいますから、その広告が力不足になると世の中が明るい方向にいかない気がしますね。
 全日空の場合は、ただ飛行機に乗ってもらおうということではなくて、社会性のあるメッセージを伝えたかった広告です。実は、もともとは、この広告が出るはずではなかったんです。オリエンテーションの段階では、スマップを使うことになっていた。昨年、いろいろな割り引きサービスのキャンペーンに彼らを使っていたのですが、そういうサービスの告知を正月広告でもやることになっていた。
 CDは電通の佐々木宏さんですが、オリエンを受けた彼は、いまの暗い世の中に向かってただサービスの告知をやることが全日空の正月に出す新聞広告として適当かどうか、テロとの戦争にお金で参加したり、自衛隊を派遣するよりも、観光客が激減しているニューヨークの現状を考えると、自分の目で現場を見るということも含めて、そこに行くことの方がよほどエールになるんじゃないかと、オリエンのその日の内にぼくの所に電話をくれた。オリエンはオリエンでいちおう聞いたけど、それはつまらないと思う。「ニューヨーク」をテーマに広告をつくりたいけどどうかと聞かれた。
 明快なクリエイティブができる時は、電話だけで打ち合わせが終わるんです。ニューヨークに行くことをテーマにした広告を提案しよう。次の打ち合わせまでにぼくがラフをつくっておく。ただスマップを使うオーダーもあるわけだから、それも一応押さえてというということになった。

――広告主の反応はどうだったのですか。
 宣伝部としては自分たちがオーダーしたものとは全然違うのに賛成してくれた。企業広告の最終決定権は社長にありますが、広告を見て「すばらしい」と言ってくれた。社長自身、何年間かニューヨークに勤務していたこともあって、あのテロに非常にショックを受けて、個人的にもなんとかしたいという思いがあったと後で聞きました。

――広告のデザインは、非常にシンプルですよね。
 ビジネスのネタとしてニューヨークを取り上げることについては賛否両論がもちろんあると思います。広告の要素をすべて取ってしまったのは、社会性を持った広告にしたかったからです。そこにいろいろなサービスの特典や、いま飛行機に乗るとこんな得がありますとやっちゃうと、「ニューヨークへ、行こう。」というメッセージが少し汚れてきますよね。そこらへんは微妙なところで、クライアントと意識が一緒でないとできない広告です。
 広告だからサービスの告知をしようとなると、ここまで明快なメッセージにはならなかったと思うのです。ニューヨークをネタに商売していると受け取られるか、社会に対するメッセージとなるかは本当に紙一重の所にありますね。

企業とクリエイターの関係

――いい広告をつくっていくためには、クライアントの理解が重要だということですね。
 クリエイターはいろいろなアイデアを出したり考えたりはできますが、それを世の中に出すのはクライアントだし、クライアントの理解は絶対に必要です。
 そういう意味で、クライアントとクリエイターはフィフティーフィフティーの関係だと思います。当然、クライアントのクレジットで広告は世の中に出るわけですから。そういう姿勢で仕事をやってきましたし、新しく仕事をする時には、クライアントにはそういうことを言います。いい広告をというのは、モノを売るだけでなく、企業の姿勢をキチンと世の中に伝えることができる。世の中が動く。そういう実感を企業にも持ってもらいたいと思いますね。

――しかし、いい広告とは何かという判断はむずかしい。
副田高行氏
 広告に限らずアートでもそうだと思うのですが、やはりフック、引っかかりがないと駄目なんです。それは全員がいいとは思わないものなんですよ。ある人は嫌だと思い、ある人はすごくいいなと思う。そういうものがフックです。企業の中でハンコが何10個も必要だということになると、そのフックがどんどん無くなっていってしまう。
 当たりさわりのない広告を人は読まない。新聞は記事を買っているわけだから記事はみんな読む。しかし、広告に人の目を止めるのは、その広告の持つクリエイティブな部分なんです。それは言葉の時もあれば、映像や広告のテーマの場合もある。それがアイデアなんです。ぼくはそれを人を引きつけるためのサービスだと思っています。このプラスアルファの部分が広告の神髄だし、それを持ってないと広告は効かない。
 だいたいつまらない広告というのは、企業が一方的に説明しているだけなんです。何の芸もなく説明されても、だれも聞きたくないんですよ。ところが、企業が言いたいことが全部入っているというだけでハンコを押して掲載料に数千万円払っている。広告として成立するポイントを誤解してると思うのです。

広告に対する思い入れ

――新聞広告をつくるクリエイターの意識も昔といまでは変わってきた?
 ぼくらの仕事は、気持ちだけなんです。いい物をつくろうと思う気持ちがあるかないかで全然違うんです。新聞15段は何千万人もの人が見るんだという意識がぼくらにはあった。サン・アドに入ってサントリーを始めたころ、やはりサントリーはメジャーなクライアントだったし、その正月の原稿がつくれたときなんて、「やった!」という感じもあったし、それだけ思いが強いわけです。たかが新聞一ページだけれど、その日の新聞のすべての記事よりも、その広告がもしかしたら心に残る可能性もあるわけです。そのくらいの広告をつくってやろうという気持ちがないと、世の中の人も、それを見て反応しない。恵まれてるせいもあると思うけど、それがいまの若いクリエイターにはあまり感じられない。

――それは、なぜだと?
 若いクリエイターを業界として育てていないという面がありますね。昔のサントリーの宣伝部の担当者はプロデューサーやディレクターみたいな感じで、仕事をしながら勉強になった。「オレが世の中にこの広告を、クリエイターを使って出している」みたいな意識がありましたよね。その代わり、社内でも切磋琢磨があった。そういうサムライがいまは企業内にも減ってきたし、広告代理店にも少ないですよね。
 広告の力が弱くなった背景には、広告代理店が広告をただビジネスとしてとらえて、本当に企業と一緒になって、この商品を普及させよう、売ろうという意識が少なくなってきたことがある。たくさん案を出すことがサービスだと勘違いしていて、真のコンペになっていない。何でもいいから扱いがとれればいい、と思っていて、広告に対するパッションがどんどん減っている。ぼくはフリーランスという立場だし、そういう仕事はあまりやりたくないなと思っている。ない知恵を絞るんだから、企業には一番いいアイデアを買って欲しい。それが企業にとっても一番得をすることだと思うのです。

広告の社会的な役割

――昨年、副田さんは、広告の写真展を開かれていますね。
 12月に「名作広告写真展2001」を開きました。広告の名作写真、オリジナル写真展です。操上和美さん、浅井慎平さん、横須賀功光さん、藤井保さんなど、そうそうたるメンバーがそれに協力してくれました。ぼくの思い入れというか、この30年間にぼくに影響を与えたグラフィックの名作広告を写真に限って、ぼくが選んでコメントも書いたものです。
 写真もいまはデジタル化が進みつつあるし、デジタルだと本当にいろんなことができるんです。でも、やはり1枚の写真の持っているすごさがある。
 チャックベリーを浅井さんが撮ったとき、チャックベリーは「お前はプロだろ、オレもプロだ。何枚必要なんだ」「1枚だ」と言ったら、1枚しかシャッターを切るなと言ったらしい。さすがに1枚というわけにいかないので、1ロール撮った。そのくらい真剣勝負なんですよね。いい写真を撮らないと広告として成立しないわけですから。そういう真剣勝負というか集中力が写真にも出ている。
 いまは技術もいろいろ発達して、ぼくらの時代よりもいろんな情報が入ってきて、もっとおもしろいことがやれるはずなんです。そういう意味では、いまの若いクリエイターに対して、半分エール、半分カツという感じで、広告写真展をやった。

――副田さんにとって、広告をつくるおもしろさは、どんな点にあるのでしょう。
 昔、JR九州のポスターをつくっていたことがあった。九州の駅にしか張られてないポスターだったのですが、ある日、ぼくの所に佐賀出身のデザイン学校の女の子が訪ねてきた。自分が美大に行こうと思ったきっかけは、そのJR九州のポスターを駅で見たからだと言うんです。当時は高校生ですよね。ぼくがつくったポスターに足を止めて、少しオーバーな言い方かもしれないけど、彼女は人生を決めた。そういうことを聞いたりすることがぼくらを支えているところがある。それには、やはり自分がいいと思うことをやっていないと駄目なんです。そういう広告が、いつもできるわけではないですが、だからこそ「ニューヨークへ、行こう。」の時は実感があった。広告をつくるということはこういうことなんじゃないか。広告の社会的な役割という部分が一番大事だと思いますね。

副田高行氏
1950年福岡県生まれ。東京育ち。68年東京都立工芸高校デザイン科卒。スタンダード通信社、サン・アド、仲畑広告制作所を経て、現在副田デザイン制作所主宰。作品に、トヨタ「ECOPROJECT」、サントリー「ウイスキー飲もう気分」など。




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