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コラム広告日和

(Mon Dec 05 10:00:00 JST 2016/2016年12月・2017年1月号 広告日和)

「大いなる無駄」としての広告の価値
澤本嘉光 電通 クリエーティブボード エグゼクティブ・クリエーティブディレクター/CMプランナー

  「CMは制約のある芸術」。
  これは僕が新入社員時代に大先輩から習った言葉で、芸術、というべきかどうかは別として僕は自分の仕事を言い当ててくれている言葉だと思っている。
  まず、ある商品について伝えないといけないという制約。特にこの内容を言えという制約。15秒、30秒といった秒数という制約。予算という制約。ある時にはタレントという制約…その他数多くの制約を受けながらその中での最適解を求めていく作業だ。
  ところが、制約は邪魔になるかというと一概にそうは言えない。制約のおかげで考えるべきフィールドの範囲が決めてもらえる。そして制約を解決しようともがくところに制約がまるでない時には考えもしないような案が浮かんだりする。一休さんが「このはし渡るべからず」と書いた橋を渡れと「制約」を言われて真ん中を堂々と渡って「はし、じゃなくて真ん中です!」と開き直ったような。そう、とんちに近い。この話普通なら「屁理屈言うなクソ坊主!」とその場で叩き切られるところだが、出題者=クライアントが寛大で「いい提案ありがとう」と褒められているという話である。一休さんもお題がないととんちが出せないように、僕らは制約がないと逆に考えるのが難しいカラダになってしまっている。

  この、とんち、をうまい具合に映像にしていくのがCM、という考え方をずっとしてきていたが、どうも最近、少しずれてきている気がしている。制約を解決する形が見事な方がいいCMである、という考え方が少し古くなってきている気がする。見事に解決したとんちの答えを1本のCM内で全て説明して見せる、というのが古典芸能とすると、そこまでのとんち的な見事さがなくてもまずそのCMを見てもらうこと、存在感を示すことが重要であり、結果としてCMとしての役割を果たす、というものがいいCMという考え方だ。
  auの三太郎のCMは好きなCMの一つだが、あれ、今回何の情報を与えようとしたCMだか、すぐにわかりますか? ストーリーは覚えていても、何の告知だっけ?とあまり残っていない。ただ、キーワード的に「ぱっか〜ん」とか残っていたり、勉強してたな、くらいの印象が残っている。学割ならいくら安くてどんなに得か、という告知をその中には詰め込んでいない。ただ、いい読後感、と、少しのヒントは残る。
  「何にも言ってないじゃないか!」と言われそうだが、言ったところでつまらなければ何も残っていないしまず見もされない。印象ゼロ。むしろすごく言ってることになっている。「なんか金太郎が勉強してたな。」から「学割のCMかな??」まで伝われば、あとは興味ある人は調べてくれるし、表現と店頭が繋がっていればそれ以上のことは結局店頭で、となるし、CMだけでなく広告総体的に伝わっていく。何より、ブランドのイメージ、印象という一番作りづらいものがそれで作られていく。そこは実は、作っている僕ら自体がマインドシフトしないといけない部分ではあるのだが。
  いろんなことを1本に詰め込みたい気持ちはわかる。でもそれって、エントリーシートに自分のアピールポイントを小さな文字でたくさん書きまくって、自分では伝えた!と思っているのに逆に何も印象に残っていない…という、就活でよく起こっている状況と似たようなことかもしれない。
  効率論で言えば、CMは、特にその商品に興味のない人にも情報を届けるわけだし、ターゲットや属性を絞って的確に届けていくネットの広告には勝つはずがないのだが、結果として残した情報が同じだとすると、デジタル的な広告では残せないものもCMは残していける訳で、実はその部分がただ売るという行為より、言葉は違うかもしれないが、優れている部分ではあると思う。

  使われ方は過去とは違えないといけないが、正しいことだけして効率だけ求めて結果を残す人より、すこし余計なことや無駄なことを言いながらも面白い人と思われる人の方が好かれるように、無駄なことをするけど楽しいメディア、としてでもCMは機能していければと思う。何より、機械に整理されたデータ単体だと世の中を楽しくはできないけど、無駄こそが世の中を楽しくしていると思うので。なので、大いなる無駄として、理屈として説明できないけど物事や気持ちが動いていくものとして広告は機能していきたいと思う。一種の魔法となれればと。本当に好きになるものに理屈ってないと思うので。
  そして残念ながら魔法ってロジックで説明できないから魔法なんですよね。なので、広告主に、信じてもらう、というか、一緒に企んでもらうしかない。
  一生懸命ロジックで説明できるものだけしていると、そこに壁ができて上限値が決まる気がするんです。化けない、というか。最近特に、クライアントに理解していただくということで文章上で説明できる企画ばかりが増えていく気がするけれど。
  売る、という行為だけについて言えば、旧来の「広告」をしなければいけないという必要性は確かにないと思うが、そこに売る人の人柄や人格はなくていいのかなあ、同じ売るなら世の中楽しく少しでもしたいと思わないのかあ、というのが勝手ながらの意見です。
  でもデジタルの広告もまだ過渡期だから、じきにそれでも世の中の気分まで大きく作れるのが当たり前になるのかもしれません。今はそこまででないというだけで。
  振り返ると、ただ効率だけで説得していた、そんな原始的な時代があったな、となればそれはそれで嬉しいです。

〔筆者プロフィル〕

1966年、長崎市生まれ。1990年、東京大学文学部国文科卒業、電通に入社。ソフトバンクモバイル「ホワイト家族」、東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、中央酪農会議「牛乳に相談だ」、家庭教師のトライ「ハイジ」、トヨタ自動車「ドラえもん」、読売新聞など、次々と話題のテレビCMを制作している。著書に小説「おとうさんは同級生」、小説「犬と私の10の約束」(ペンネーム=サイトウアカリ)。前者は読売新聞会員制サービスyorimoの連載を単行本化。後者の映画脚本も執筆。2014年1月に公開された映画「ジャッジ!」の脚本も担当。クリエイター・オブ・ザ・イヤー(2000年、06年、08年)、カンヌ国際広告祭賞、ADFEST(アジア太平洋広告祭)グランプリ、クリオ賞、TCC賞グランプリ、ACCグランプリなど、受賞多数。数多くの海外の広告賞の審査員も歴任。

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