特集

2008.11/vol.11-No.8


本を売るための視点

文庫という形式が生んだ古典新訳ブーム

 出版各社が次々と古典の新訳本を発売している。その中でも大ヒットとなったのが『カラマーゾフの兄弟』の新訳文庫だ。本が売れないと言われる中、全5巻の累計が100万部を超えた。新訳ブームの火付け役の一人、光文社古典新訳文庫の編集長を務める駒井稔氏に聞いた。

『カラマーゾフの兄弟』(全5巻)
――今の出版状況をどう見ていますか。

 出版不況という言葉が独り歩きをしている感じがしますね。でも、「不況」という言葉で片付けてしまうと、見えなくなってしまうものがある。実際、出版点数が増えて、初版部数が下がっているのは間違いないのですが、逆に問いたいのは、本を読む人がこの世からいなくなってしまったのか、本というものがまったく必要とされない世界が来てしまったのかということです。そんなことはないわけで、本を読みたいと熱烈に思っている“本の消費者”、読者がきちんと存在していることは、出版界の人間ならみな実感しているはずです。
 その本の中でも、文芸書は確かに厳しいと言われています。よく言われることですが、今世紀に入ってから小説を上回るような衝撃力を持った事件が日々起きているわけですから、その事件を受け止めて自分の中で咀嚼してどう理解したらいいのかを考えるだけで、たぶんみんないっぱいいっぱいになっている感じがします。
 昔も、いろいろな大事件はありましたが、その一つの事件が社会に与えるインパクトはもっとずっと長く続いていました。今は、それぐらいの事件が日常的に起きるということになってくると、やはり本との接し方が変わってきてしまうのは致し方がないところだと思いますね。

文庫という形態を選んだ理由

――古典新訳は文庫で出されていますが、文庫についてはどう思われますか。

 文庫という形式は、今の世の中のスピードや生きる感覚に非常に合っていると思います。その理由としては、まず、単行本と比べ、文庫ははるかに携帯性に優れていることがあります。電車の中で携帯電話も見ていますけど、文庫本を読んでいる人は多いですよね。現代人は非常に忙しいので、落ち着いて本を読む時間がなかなか取れない。文庫はハンディーですから、どこにでも持ち歩けて、細切れの時間を使いながらでも読める。それと、立派な本を机の上で開いてかしこまって読む、というような読書に対する権威主義的なイメージも今はなくなってきている。そういうことが、出版全体が文庫シフトしている大きな理由だと思います。
 通常の場合は単行本で出版されたものが2、3年後に文庫になるのが基本ですが、最近は「文庫書き下ろし」も増えつつあります。実用書やノンフィクションまで、あらゆるジャンルが文庫化されている。それは文庫という形式が、今の世の中に合っているからだと思うんですね。

――古典新訳シリーズを単行本で出すことも考えた?

 あらゆる形式を考えました。古典新訳を出版するのは、「書き下ろし」と同じです。単行本、新書、文庫、特別の判型、あらゆる可能性の中でどの形式を選んでいくかは、最初の大きな難問でした。その中で文庫本形式を選んだのは、文庫が書店に最も長く置かれるからです。また、日本の住宅事情から、自宅では本を文庫で持っているケースが多いんです。

――単行本だと、売れなければ返品されてしまうということもある?

 古典ですから、長い間読み継がれることが最重要課題でした。今の出版形式の中で書店でいちばん生き永らえるのは文庫形式だということなんです。
 単行本で出版した場合は海外文学の棚に並ぶわけで、大きな書店でもその棚は非常に狭い。新しい海外文学もどんどん出てきて、棚が入れ替わっていく。古典新訳シリーズは、最低でも30年は読まれることを前提に企画を立てています。ですから、翻訳者の人たちにも、最低30年は通用する翻訳で出してほしいというお願いの仕方をしています。

――文庫なら出版社の棚が書店に確保されている、ということですか。

 そうですね。文庫で棚を確保するまできちんと持っていければ、その棚に新刊が出ていく、既刊で売れたものは注文が書店から取次、出版社に届くというサイクルができてくるわけです。そのサイクルがなければ、古典は出版として成り立たない。今の出版は、短期集中で売っていくというやり方を目指してきたのですが、古典は長く読み継がれることを前提として、30年で何十刷という形で売っていくものです。そのためには、文庫形式しかないということなんです。
 ただ、次々と新しい文庫のシリーズも出てきて、文庫戦争と呼ばれるくらい各出版社で競り合っている。しかも、海外文学そのものが売り上げの厳しいところに、さらに古典でしたからむずかしい判断でした。

本質を求める時代と古典

――しかし、『カラマーゾフの兄弟』が全5巻の累計で100万部以上売れた。予想されていましたか。

 特にプロモーションをやったわけではありませんし、ここまで売れるとは思っていませんでした。しかし、古典が必要とされている時代だという読みはありました。
 編集者たちが無意識に古典に目を向け始めたのは、おそらく金融危機のあった1997年ぐらいだったと思います。今もアメリカ発の金融危機にありますが、そのころの日本は戦後つくられてきた社会基盤が崩れ、それまでの社会的了解が全部壊れていく感じがしたと思うのです。さらに今世紀に入って、2001年の9・11同時テロが象徴的ですが、日本でも無差別に人を殺すようなすさまじい事件が日常的に起こるようになった。「三丁目の夕日」のような昭和30年代の貧しかったけれども安定していたという感覚を完全になくしてしまった今の日本の社会は、本質的なものを求める方向に必ず帰ってくるという感じがしていたんです。
 それに応えることができるのは、時代を超えた普遍性を持つ古典です。もちろん、今書かれている作品の中にも、そういうものはあるでしょうが、古典は普遍性を備えたものばかりですから、そこに向かっていく読者は潜在的にいるはずです。それをシリーズとして出版していく試みを、文庫という形式で2006年9月からスタートしたということです。

――それ以前に具体的な古典新訳の動きはあったのですか。

 2000年あたりから、ポツポツとは出ていました。例えば、『嵐が丘』の新訳が新潮文庫と岩波文庫から、『白鯨』が講談社文芸文庫から出たりと、古典回帰が底流にはあったんです。
 ただ、新訳の面白さが読者に伝わるきっかけになったのは、『ライ麦畑でつかまえて』の村上春樹さんによる新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)が2003年に出版されてからだと思います。これまでの翻訳を読んで自分には海外文学はわからないと思っていたけれども、どうも翻訳によってわかる、わからないがあるらしい。それから、印象がまったく違う。そういうことに読者も気がつき始めたんですね。
 逆に言えば、それまでの翻訳の世界は、選択肢の少ない、表現の豊かさから取り残されたジャンルだったんです。

いま、息をしている言葉で。

――古典新訳文庫では、どのような点に力を注いだのでしょうか。

 古典はだいたい30年から40年に一度新訳されてきています。これまで書店に並んでいた古典は、戦後から70年代初めに翻訳されたものがほとんどです。中には60〜70年前の翻訳もあるんですね。だから、今の若い人たちが古典から離れるのは当たり前、というところがあります。
 我々の古典新訳は、「いま、息をしている言葉で。」をキャッチフレーズにしています。まず、古い言葉を新しくする。しかし、それは奇をてらった新しさではなく、極めてまっとうに、現代日本語でシェークスピアが書いたら『マクベス』はこうなる、『カラマーゾフの兄弟』もドストエフスキーが日本語を書けたらこう書くだろうという視点で、翻訳していこうということです。
 翻訳文体は明治以来の日本の文化をつくってきた面もありますが、同時に西洋に対するあこがれや過大視も反映している。そういうものをはぎ取った等身大の翻訳にする。現代日本語で書かれた日本語作品として文学や哲学や社会科学を読めるようにするのが、このシリーズの狙いです。
 そのためには、今までの翻訳文体で良しとされていたような表現を翻訳家に現代日本語として通用するようにしてもらう。翻訳家との打ち合わせを非常に密にしないといけないし、翻訳家も今までより一歩踏み込まないといけない。大変な作業ですが、それがこの新訳文庫のいちばん重要なところです。
 まず訳文を直す。それから装丁も直す。書体も直す。字組みも直す。行間も広げる。注の付け方も小さな文字ではなく、見開きページの左にまとめて読みやすくする。つまり、今まで古典から読者を遠ざけていた要素すべてを取り除くことを一つひとつやったんですね。

若者に読まれる古典に

――古典新訳の読者の反響はどうだったのでしょうか。

 「こういうシリーズを待っていた」という意見が多かったですね。また、「これを新訳してください」とリストを送ってくれた読者もかなりいました。
 購入層も最初はドストエフスキー挫折組の40代から60代が中心でしたが(笑)、昨年7月に『カラマーゾフの兄弟』が完結して、初読組の10代から30代が大きく伸びました。彼らの間では『カラキョウ』と呼ばれているらしいんですね。今年から始まった文芸サークルの学生が選ぶ「大学読書人大賞」にも、我々の光文社古典新訳文庫の中からアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』が大賞に選ばれています。
 きっかけは『カラキョウ』だったのかもしれませんが、この文庫が若者の間で認知され、「我々にも古典がわかる」という感覚が宿ったのだとしたら、それがいちばん重要なことだと思っています。

売れ行き好調な光文社古典新訳文庫

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