特集 2005.10/vol.8-No.7

メディアニュートラル時代に効く広告
対談「新聞広告の力」とは何か

刺激的な新聞広告

 高松 今まで話してきた広告とは違って、純粋に売るための広告というのも、ぼくは新聞広告として必ず生き残っていくと思うんです。
 広告には2種類あって、すでに買おうと思っている人に向けた広告と、別にいまは買おうとは思ってない人に買おうと思ってもらう広告がある。マンションの広告は、すでにマンションを買おうと思っている人にしかまず効かない。でも、そういう人が明らかにいるから、マンションの広告は新聞に出るわけです。それは、買おうと思っている人に情報を提供することが目的だから、それはそれで生き残っていく。新聞広告は情報を広く伝えるメディアですから。
 保険の広告も同じです。深い情報は保険もマンションもウェブに行って見るのがいまは当たり前ですけど、ウェブにホームページを作っているだけでは、なかなか来てくれないですから、すでに買おうと思っている人や、すでに検討している人に対して、入り口、きっかけを作るという新聞広告の役割はなくならないと思うんです。
 一方、いますぐ買おうと思っていない人に振り向いてもらうためには、相当魅力的な広告でなければいけない。そういう魅力的な広告を新聞でやるためには、ブランド品の広告のようにクオリティーの高い表現でグッと引きつけるか、それとも、新聞というクラッシー、つまり品格のあるメディアで、ちょっとずれたことをやる、そのどちらかですね。ずらすことで、引っかかりを作らないと、新聞広告は、どんどんつまらない方向に行っちゃうと思うんです。

 杉山 テレビCMが、ある時から広告の圧倒的なキングになったときに、新聞広告はそれを補完したり、深く理解させるためのメディアだと自ら役目を規定してしまったところがあったと思うな。自らの役割を限定することで、新聞広告はずいぶん損をしてきた感じがする。
 スラムダンクは、新聞広告からエモーショナルな動きが起こったいい例で、一番の刺激はテレビじゃなくて新聞から始まるんだという広告をもっと増やしていく必要がある。まして、高松君からもう一回り下の世代になると、新聞のことをあまり知らないクリエイターが増えてくる。
 でも、新聞は依然として、非常にニュース性が高くて、しかも社会的な価値を形成するのに一番強いメディアだと思う。要するに、世の中がいま何に注目しているのか、人々がそれを測るモノサシが新聞でしょう。だから、それをうまく使えば、かなり刺激的なコミュニケーションができる。刺激的とか、官能的というところを捨てちゃうと、そのメディアはどんどん痩せて年を取っていくと思う。

違うメディアで代替してみる

 高松 それから、新聞広告には、新発売した商品の流通対策や社内の盛り上げという独特の機能もある。社員にコミュニケーションするのが最大の目的という新聞広告はけっこうありますね。

 杉山 社内コンセンサスに新聞広告を使う。社内モラルアップ、社員エンカレッジという言い方もするよね。

 高松 社長が代わって新しい方針を社内報や会議で伝達してもなかなか伝わらない。だけど新聞の大きなスペースを使って広告すると、社員も読む。お客さんのところへ行って、「今日こんな広告出てたよね」「これってどういう意味なの」と聞かれて答えられないといけないから、勉強しようと思う。だから、新聞広告の昔からの機能の一つとして、実は社員、あるいはその関係者、流通も含めて、社の方針や戦略を伝える、社内報の最も効く版が新聞広告というのは、実際あると思うんです。
 ただ、そういう目的の広告はちょっと脇に置いておいて、普通の新発売広告が新聞広告をつまらなくしている気がします。だから、ぼくは新聞広告を少しいままでと違う役割にずらして使ってみることも必要だと思うんです。
 たとえば、「認知」の役割は普通マスメディアですが、それを違うメディアで代替できないかと考えてみる。ぼくがやった仕事で言えば、ウェブの検索ポータルであるgooのキャンペーンがそうです。テレビスポットの予算を全部、駅張りポスターに投じたんです。

 杉山 あれは、印刷メディアの魅力を改めて知らされたよね。

 高松 駅張りポスターを30種類作りました。それから新聞広告ですね。なぜ紙メディアにしたかというと、ウェブは紙メディアに近いんですよ。テレビの15秒、30秒CMで、gooのサービスの良さを説明するのは本当にむずかしい。
 キャンペーンの目的は、「教えて!goo」という、何か知らないことがあるときに質問を書き込むと、親切な誰かが答えてくれるサービスがあることを知らせることです。実際、「教えて!goo」で質問すると、その99.2%に誰かがちゃんと回答を寄せてくれる。ものすごくバカバカしい質問から、数学のものすごく高度な質問まで、そのほとんどに答えが返って来るというすばらしいサービスです。
 広告業界では、50%の広告リーチを得るには、テレビで3000GRP投下するしか方法がないと信じられてきたのですが、このキャンペーンはその予算をすべて、東京と大阪の駅張りポスターに投入したんです。その結果、ビジネスマン、学生ともに驚異的なリーチを獲得することができた。サラリーマンや学生は電車で通勤、通学していますから、乗り換え1回としても、1日の往復で6回駅を利用する。月曜から金曜まで、毎日駅張りポスターを見てくれるなら、一週間で30フリークエンシーになるという読みがあったんですね。
 ネットの世界は非常にシビアで、我々が調査結果を持っていくまでもなく、その日にもうアクセス数がどのくらい伸びたかわかる。でも、幸いなことに、このキャンペーンによって、「教えて!goo」へのアクセスが急増した。また、「教えて!goo」は会員にならなければ質問できないのですが、それまで300万人だった会員が、キャンペーン終了時には600万人に増えたんです。

新聞広告で、まず、あいさつ

――gooの新聞広告の役割というのは?
 高松 このキャンペーンの初日に、実は新聞広告30段をやっています。なぜ、新聞広告をやったかというと、さっきのパブリックアナウンスメント、スーツを着て、ごあいさつさせて頂きますという、まさにその使い方の典型なんです。gooは、やはりYahooに比べると、残念ながらシェアが低い。NTTグループがやっていることもあまり知られていない。
 そんな中で、ある種ゲリラ的に、ちょっと人を驚かせようというキャンペーンをやるときに、突然、東京と大阪中の駅がgooのポスターに占拠されたら、怪しさが先に立つ。まずはこういう変わったことをやる上で、gooとは何者なのか、ごあいさつをさせて頂くほうが先だろうということで、30段の新聞広告から始めたんです。

 杉山 そういう装置として、新聞広告は最高なんだよね。

 高松 新聞広告もほぼ全紙に出稿したわけですが、30段という贅沢な使い方も、やはりgooというブランドが残念ながらまだ大きくないがゆえに、逆に大きなスペースで堂々とあいさつするのが非常に重要だと思ったんです。
 もう1つは、駅張りポスターの補完媒体としての役割です。ポスターには「教えて!goo」に興味をもってもらえそうな質問をたくさん載せた。その質問しか読まずにgooだということがわからなかった人のために、補完媒体としての新聞15段も各紙に掲載しました。
 それで、最後の新聞広告では「教えて!goo」の中に、gooのどこがいいのか、悪いのかを議論する特設サイトを作ったことを知らせて、ユーザー同士が話し合うきっかけを作ったのです。「gooはこんなところがいいんだよ」と言っているユーザーがいる一方で、「こんなところが悪いんだよ」と言っているユーザーの書き込みもあるかもしれない。どんな議論になるかは怖いけれど、使ってもらえればgooはYahooよりいいという自信があるからやったわけです。新聞よりも、テレビよりも、雑誌よりも、何よりも、ユーザー自身のコメントが一番効く。

 杉山 ローカルインタラクションというんだよね。受け手同士が意見交換して、その商品の価値を彼ら自身で測る。

 高松 掲示板の議論は、goo自身ではコントロールできません。悪口を書かれるかもしれない。けれど、そういうローカルインタラクションが、実は一番信用される。そういう時代が来ているということは否定しがたいと思います。

新聞は数が限られている

――新聞広告とウェブをどう使っていくかということも、これからの大きなテーマだと思うのですが。
 杉山 2つの方向があると思います。gooはウェブの会社だからサイトに来てもらうことが目的のキャンペーンだったけれど、一般の企業でもウェブに来てもらって、商品について詳しく知ってもらいたい。そのきっかけを作ることが目的の新聞広告は、いまも多いし、今後も増えていくと思うんです。
 一方で、広告にURLが書いてあるとしても、必ずしもサイトに来てもらうことが目的ではなくて、15段の新聞広告1つで、ある世界観を伝えることを目的にした広告もある。高松君がさっき、新聞を評して「クラッシー」と言ったけれど、品格があることをだれもが認めているメディアでブランドを構築していくなど、新聞広告で完結した使い方もある。

 高松 杉山さんは、インタラクティブメーンの立場かと思ってましたが(笑)。

 杉山 最近はそうお気楽にも言えなくなってきた。結局、マスメディア対インタラクティブメディアという考え方や、4マスがあって、そこに横並びに第5の新しいマスメディアとしてのインターネットが生まれたと考えることが間違いだと思うんだ。そうではなくて、新しい機能と役割を持った伝達手段が生まれた。そこをどうやって新聞、テレビ、ラジオ、雑誌が、自分のものにして取りこむかというふうに考えないといけないと思う。VSと考えると、どうしても「あんな新参者に負けるか」になってしまう。
 クロスメディアと言うと薄っぺらい感じになるけど、要するに「自分のメディアの拡張」と考えて、自分のメディアがいままで届かなかったところまで届けてくれる新しいテクノロジーが生まれたと考えないと間違ってしまう。

 高松 新聞とインタラクティブメディアの違いで思うのは、新聞は数が限られていることです。インターネットの総広告費がラジオを抜いた、雑誌を抜くかもしれないと言われていますが、その対象になっているウェブサイトはものすごい数がある。新聞は全国紙は5紙しかないし、ページも限られている。15段広告だったら、朝刊で10本程度です。それは、実は新聞広告の強みになっていると思います。雑誌も新聞に比べればやはり無数にある。テレビもさっき言ったように月に3000本のCMが流れている。
 そういう中で、新聞は、元々メディアの数が少ない上に、1日当たりの広告の数が非常に限られている。そこに15段の広告を出稿するということは、受け手の読者も、何らかの意図、思いがあるはずだなと感じると思うんです。逆に広告を作る側から言うと、新聞広告は、限られたメディアの中の限られた本数の広告にふさわしいだけの納得性のあるメッセージになっているかどうかが大事だということです。それがインタラクティブメディアとの違いでもあると思うんですね。

メディアの可能性の発見

――従来のメディアとインターネットなど新しいメディアを、広告媒体として今後どう活用すべきだとお考えですか。いまは新しいメディアに関心が集まっている気がするのですが。
 高松 ぼくは、メディアニュートラルという言葉が、「4マス以外のメディアの方がこれからは可能性があるぞ」みたいな意味で語られがちなことに抵抗があるし、間違っているとも思うんです。新しいメディアの使い方をいろいろ試みてきたぼくでも、かなり新聞広告をやっている。
 メディアニュートラルというのは、4マス以外のメディアをどう使うかということではありません。メディア自体をキャンペーンの目的に応じて新規に作っていくというクリエイティブメディアも含め、メディアそれぞれの役割と力量を、もう一度フラットに見つめ直すことです。
 それは今日話したように、たとえば新聞広告にはどういう特性や役割があり、それをほかのメディアとどのように組み合わせれば力を最大限に発揮できるかを考えることだと思うんです。それぞれのメディアの可能性をどう発見し直すかが、メディアニュートラルにとって最も大事なことなのです。

 杉山 ぼくは、個人広告というのが新聞広告をもっと刺激的にする一つのヒントになると思う。たとえばYahooの孫さんが、総務省は間違っていると意見広告を出したけれど、意見広告は典型的な新聞広告のやり方だよね。目をつり上げて怒っている広告という意味じゃなくて、真摯にものが言えるという意味で。
 それはスラムダンクや星野さんの広告にも言えることで、そういう広告がなぜ力を持つかといえば、圧倒的に個人の意見だから。だからこそ、届いた時には一気に広がり普遍性を持つ。ところが、最近は企業や商品が個人という人格を持ってしゃべらなくなってしまったところに大きな問題がある。

 高松 そうですね。のんべんだらりと製品の紹介だけをしている広告は、やはりつまらない。たとえ個人じゃないとしても、その企業の思いを疑似個人化した強いメッセージとして見せることができれば、気持ちは必ず伝えられる。それが、新聞広告が効くということだと思います。

 杉山 だから、テレビCMや新聞広告が効かなくなったという俗論があるけど、ぼくは効かなくなったわけじゃなくて、広告がつまらなくなっただけだと思っている。ネットのせいでも何でもなくて、広告が個人の言葉を取り戻して、もっと刺激的になれば、それプラスもう1つの伝達手段であるネットが生まれたんだから、もっと伝えることができるじゃないかと、最近は考えるようになった。
 反論する人もいるだろうけど、広告の基本は「性能を言うのではなく、性格を言え」と昔から言うよね。「あいつは何秒で走れる」ではなくて、「あいつは無口そうに見えるけど、時々とんでもない発言をするんだ」と言ったほうが伝わる。個人の言葉を持った広告はどんな時代でも強さを発揮すると思う。個人の本当の気持ちを吐露する態度を取った瞬間に、みんな拍手する、あるいは拍手しないまでも受けとめてくれる。そういうときに最初に切り込んでいくメディアとして、新聞広告は、実は最高に刺激的なメディアだと思いますね。

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