企業訪問 2004.1・2/vol.6-No.10・11

キャナルシティ博多で商都振興へ
 1996年4月、福岡にオープンした複合商業施設「キャナルシティ博多」は昨年10月、開業以来の来場者数が1億人に達した。複合商業施設がもたらす効果について、エフ・ジェイ都市開発 代表取締役社長 藤 賢一氏に話を聞いた。
藤 賢一氏 「キャナルシティ博多」は福岡天神地区とJR博多駅の中間に位置し、約3万4千平方メートルの敷地には南北に運河(キャナル)が流れ、2つのホテル、商業施設、シネマコンプレックス、劇場、アミューズメント施設、ショールーム、オフィスなどを集積した複合施設だ。県内はもとより、九州全域、アジアから年間1300万人以上もの人々が集まる日本最大級のショッピングセンター(SC)である。
 エフ・ジェイ都市開発はキャナルシティ博多を立ち上げるための会社として、地元のデベロッパー福岡地所から会社分割を行い、1993年5月に設立された。現在はキャナルシティ博多のほか、同じく複合商業施設「マリノアシティ博多(2000年10月オープン)」、「リバーウォーク北九州(2003年4月オープン)」の企画・運営・管理を主に行っている。

組み合わせの面白さを発見

 キャナルシティ博多建設のきっかけは、1977年にカネボウ紡績工場跡地を福岡地所が取得したことに端を発する。当初はマンションを建設する予定だったという。
 「土地の歴史や都市計画などの位置付けを調べるうちに、やりようによっては博多の街のへそ的なものになるのではないかと考えた」と計画変更の理由を藤氏は語る。
 「都心部空洞化を避けるためにも、商業的な街にしなくてはならない。商都博多の復興を目指した」
 そのため、40本のくい打ち作業まで進行していたマンション建設工事を中断し、計画を白紙に戻した。結局、残りの土地の取得や商店街などとの交渉・調整に手間取り、工事が再開されたのはバブル崩壊後の1993年のことだった。
 ところが、このことが逆に同社にとっては幸いした。デフレにより建設費用や金利負担が圧縮できたからだ。ただ、テナント集めには苦戦を強いられた。経済環境悪化で、日本の企業は新規出店に憶病になっていたのだ。「日本が駄目ならと、海外にも行って探してきた。本当に、胃が痛いどころの騒ぎじゃなかった」と当時を振り返り苦笑する。
 そんな時、バルセロナでサグラダファミリア教会を見たことが大きな転機になったという。「未完の建物にさえ人が集まるのなら、テナントが埋まっていないことなど大した問題ではない」。その開き直りのおかげで余分な力が抜け、物事がうまく回転するようになったという。
 そして、1996年4月20日グランドオープン。その成功は、社会現象にまでなった。
 「当時、経営者の間で『博多のキャナルシティ見に行った?』というのがあいさつ代わりになっていたそうだ。それぐらい、様々な業界にインパクトを与えたということだ」。このインパクトの強さは、その後の丸ビルや六本木ヒルズにつながることになる。「それまで、街というのは駅に百貨店が付帯するものしか見られなかった。組み合わせの面白さを見付けたのがキャナルシティ博多だ」

福岡を観光商業都市へ

 キャナルシティ博多の完成は、福岡に経済、観光両面で大きな影響を与えた。それまで、福岡空港に降りた観光客は、そのまま別府や長崎に直行することが多かった。それが、キャナル効果で福岡市内に泊まっていくようになったという。その結果「福岡はそれまでの『支店経済都市』から『観光商業都市』にこの10年で大きく変化した」という。また、福岡という街を東京、上海と並ぶアジアの大都市へと仲間入りさせる原動力ともなった。実際、韓国や台湾ではキャナルシティ博多と別府温泉を巡るツアーは大人気という。
 昨年12月にはこれらの功績が認められ、地域振興に貢献した民間事業者を顕彰する「ふるさと企業大賞」(総務大臣賞・財団法人地域総合整備財団主催)を商業施設事業として初めて受賞している。

次世代SCをアジアで展開

キャナルシティ博多中心部に位置するサンプラザ
キャナルシティ博多中心部に位置するサンプラザでは様々なイベントが実施されている
 「これからの複合商業施設は、エンターテインメント性のさらなる追求が課題となる」と藤氏は語る。「まだ、世界中のどこのデベロッパーも解決できていない。我が社が次のステップを完成させるのだ」
 ただ、それとは別に国内では「自然や和的なものがテーマになるのではないか」と予想する。「居るだけで心地良く刺激されるような、日本の伝統と自然を融合した街だ」
 今後、同社は複合商業施設のノウハウを持ったデベロッパーとして、国内にとどまらず、アジア進出も本格化させる予定だ。
 「日本においてはハード、つまり大きなSCを造るというのではなく、ノウハウを提供するソフトデベロッパーの道を進んでいく。アジアにおいては、我が社が持っているノウハウを若い社員たちが存分に発揮するようなスペースを造りたい」
 今、中国でSC開発熱が高まるにつれ、アジア各地から“キャナル詣で”に来る同業者が後を絶たない。同社も上海や台湾などアジアのいくつかの都市で、SC建設にコンサルタントとしてかかわっている。条件さえ整えば、直接進出することもありえるという。
 「東京に進出するのも上海に進出するのも一緒だ。経済や法律が違ったとしても、お客様を相手にすることに変わりはない」
 今後とも同社は、我々に驚きと興奮を与えてくれるSCを次々と誕生させるに違いない。

(佐藤)
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