特集 2003.2/vol.5-No.11

 
文字情報の価値

 田中 日本ではまだそれほどメーンストリームにはなってないのですが、欧米では90年代にノスタルジアがはやった。どちらかというと主流だったんです。日本でも、たとえば大塚製薬が年末に出した広告や昨年の花王の正月広告にもそういうテイストがあるような気がします。そういう芽がこれからあり得るのではないかという気がしているのですが。

 眞木 ノスタルジーというのは、表現の技法としてはそんなに新しいものではないですし、けっこう危険です。扱い方がむずかしくて、失敗するケースも多いのです。広告が情報を発信するものだとすれば、いつも新しい、明るいものが基本なわけですから、後ろ向きなものはなかなか扱いがむずかしい。それに広告の表現の歴史も、考えてみればそんなに長くはない。1世紀を超えてないわけですから、振り返ってばかりもいられないなという気持ちはあります。
 ただ、ノスタルジーがはるか昔の話ではなくて、自分のライフサイクルの中で思い出せる範囲の、先ほど言った青春のリフレインというものだったら可能だと思います。去年のテレビコマーシャルでも、『明日があるさ』や『亜麻色の髪の乙女』など70年代ポップスのCMソングのヒットが続きましたね。

 田中 一斉に表に出ました。

 眞木 それは、ノスタルジーというよりは、ちょっと前の過去。フェアレディZも直近の過去ですね。そういう自分のまだ色あせていない思い出の中にあるノスタルジーだったら再生可能だと思います。

 田中 去年、ポール・マッカートニーが来日しましたが、彼はアメリカでも公演をやっていて、子供からおじいさんまでみんながワーッと盛り上がった。考えてみると、たとえばビートルズが出てきた60年代も今も、モダンというか、現代という言葉でくくれる時代ですね。ビートルズの時代からポップスがものすごく変わったかというと、新しい要素、エレメントは出てきていますが、実はそんなに変わっていない。だから、もう一度現代を反復するというようなことが、今、起きている気もします。

 眞木 そういう意味では、ちょっと大胆ですが、デジタルこそアナログであると思います。ネットでも、心のこもった文章、血の通った言葉がやはり読まれている。その一方で、ネットにはとても微視的な情報、ミトコンドリアについて何千行と語るような文章もあるわけですが、それも決してデジタルな話としてではなくて、自分の個の存在にかかわるアナログな価値を持った情報として読まれている。そういう時代なのではないかと思うのです。

 田中 これも社会人大学院生がやった実験で、テキストのバナーと、絵柄入りのチカチカするようなバナーと、どちらがクリック率がいいかというのがあるのですが、テキストだけのバナーのほうが高いんですよ。

 眞木 そこにも、コピーライターが活躍する余地がありますね。

 田中 ビジュアルで絵がチカチカする動画よりも、固定して動かない方が、やはり信頼性があるし、その方がクリックしたくなるものらしいですね。

 眞木 掲示板も自分が書き込みをしたいと思うから文章を書き込むわけで、デジタル世代と言うけれど、彼らは新しいアナログ世代ではないかと思います。デジタルというステージで文章で自分の表現をしていくという時代が来るのではないかと思います。

 田中 まさにネットでわれわれが読んでいるのは文字情報であって、絵の情報ではない。
 眞木 だからこそ60年代、70年代の非常にアナログ的だといわれるような歌が、若い世代の気持ちにも、もう一度ヒットしていく。

 田中 話は飛躍しますが、これからはブロードバンドと言われていますが、インターネットが今向かってる先はテレビなんですね。インターネットはテレビになろうとしている。
 昔、マクルーハンが言ったように、テレビはある意味、究極の媒体です。だからブロードバンドがどうなるかと言ったら、もうテレビになるしかないわけです。その一方で、新聞は堂々と残っている。だから、メディアの進歩と言っても見えているところがすでにあります。インターネットはテレビになるしかないとすると、やはりテキストの価値は別の意味で残っていくと改めて思います。

 眞木 これからもそうした動きは続きますね。たとえば発泡酒の新製品がテレビコマーシャルではなくて、新聞広告を中心に新発売キャンペーンをはったというのもありました。これも今までの媒体効果、分析を元になされた判断ではないかと思うのです。それは新聞広告がどう効くかを企業もよくよく考えた判断だったと思います。そういう動きがこれからも、いくつか出てくるのではないですか。

 田中 冒頭に眞木さんがおっしゃった情報デフレ、メディアデフレという言葉にも通じるのですが、メディアが多様化するとそれぞれのメディアが持っている役割がよりはっきりしてきます。
 メディアが多様化したとしても、人間が受け止められる情報量は決まっていますからパイとしては少なくなるかもしれませんが、そこに残った価値がものすごく重要になってくる。恐らく広告主も、新聞でしかできない何かがあることに気づきはじめた思うのです。広告主も、メディアも、クリエイターも、われわれもみんなそうですが、やはり新聞でしかできないことは何か、もう一度、情報デフレ、メディアデフレの時代に考えてみなければいけないと、今日改めて思いました。

 眞木 ただ、これまでの話の中にも、いくつか方向は出ています。最初の情報だけの一種の公共広告、あるいは企業広告というやり方もあるだろうし、中国茶クリエイティブというか、ストーリーを持った情報をつくっていくというやり方もある。新聞広告にも、さまざまな新しい方向がまだまだある。

 田中 新聞広告というと、私の言う弾丸効果、すぐに効くのが新聞広告であると思われていましたが、それが有効であったが故に、後から効く広告の役割が開発されてこなかったのではないか。それが今、新たに開発されている途上ではないかと思います。

知性と美しさのチビの時代へ

 眞木 最後に、今年の新聞広告はどうなるのか、どうあって欲しいかということですが、毎年楽しみにしている正月広告の中では、今年はANAの「高速中国」にすごく引かれましたね。

 田中 JALの松井の広告もいいですね。

 眞木 JALの広告は、田中先生がおっしゃった「なぜこのキャラクターを使うのか」という意味が非常にはっきりしています。
 去年の新聞広告を振り返って「ワビの時代」「サビの時代」と見てきたわけですが、今年は「チビの時代」。ワビ、サビ、チビと韻を踏んで、チビは知性の知と美しいの美で「知美」。つまり新聞広告はより頭を使う、より美しい広告になる。一枚の絵と詩的な文学一行をメッセージにしていく企業芸術のような広告、それが新聞広告のこれからの新しい明るい姿だとすれば、ぼくには、知美の時代を迎えてほしいという思いがあります。こういう航空会社の広告は何かそういうものを感じさせる。

 田中 これからの企業にとってブランド価値を高めることが重要だと思うのですが、それをどうやって高めるかが問題です。それには、企業がどういう行動パターンを取るかが非常に大事になってくる。人間もそうですが、眞木さんという人はこういう時にはこう反応する人だとわかっているから、眞木さんという人をわれわれは受け入れているわけです。企業もそうだと思います。新聞広告を出す時も、この企業は企業価値を高めるために、こういう表現で、こういうパターンで広告を打つんだということが大切になってくる。

 眞木 先ほどの航空会社の正月広告のパターンは、青空に昇る太陽です。輝かしい明日を約束するという企業のメッセージ。最も正月広告らしいと思ったANAとJALの広告は、そのパターンを踏襲している。真っ青なお正月の青空が両方とも出ている。ただ新しい時代の新しいアイデアとして、一つはパンダが太陽の代わりになり、1つは松井選手が太陽の代わりになって、新しい日の出を象徴している。パターンを守りながら、パターンを破っている。そこが目を引かれる広告にしています。

 田中 パターンは自分の行動のあり方であって、表現自体は変わってもいい。むしろ変わらなければいけないものです。ソニーはまさにそうで、新しいことをやること自体がパターンになっている企業です。だから、新聞広告一つ出すにしても、何かここは違うよねというものがなければ、新聞広告をやる意味がない。

 眞木 企業の行動パターンを持ちながらパターンを破っていく。そういう広告ですね。目指します。


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