特集 2001.4/vol.4-No.1

広告クリエイターは時代をどうとらえているか
 
ユニクロの競争力

 佐野 飲食料品ではなくて、衣料品や買い回り品は、また相当事情が違うだろうと思います。例えばユニクロについてどうみていますか。

 一倉 多くのメーカーがユニクロに学ぶものは多いと思います。あまりにも情報を詰め込みすぎた広告が多い中で、学ぶべき広告だと思います。しかし、あれも日本の広告事情の中で、ドラスティックに割り切ってやっているから目立つのであって、すべての企業があのようにできるかというとむずかしい。それができれば、日本の広告風景はガラッと変わると思いますが、形だけまねしてもしょうがない。

 佐野 いまのユニクロはスターバックスコーヒーと似ていますね。ユニクロも大阪を中心に展開していた時には徹底した安さで勝負していた。ドトールと同じだった。ドトールのコーヒーよりスターバックスは100円以上高い。そうすると、その100円の差で方向づけがなんでもできるわけです。つまり、商品の価値そのものを自由につくることができる。ユニクロもそれで成功した。ステッチを効かせたり、ポケットをつけたり。表現頼りから広告のメッセージが商品力に戻っている現象ではないかと見ています。
 ただ、円安がもうちょっと進んだら、ユニクロの競争力はなくなってしまう。ある面では、非常に危うい競争力の上で成り立っているのがユニクロです。しかし、そういう突出した戦略なしで、似たような商品で広告だけで勝つのは相当むずかしい時代になっていると思うのですが、どうですか。

 谷山 この前、奥さんといっしょに原宿のユニクロに寄って、その後ジル・サンダーに行ったら、値段が100倍違うので驚いた。1,900円と19万円で、同じようなものを売っている。青山という街はすごく不思議だなと思った。
 ぼくもユニクロの成功は、フリースに代表される商品の成功だと思います。広告も、もちろんちゃんとした人がちゃんとしたことをやっているとは思いますが、そこに特筆すべきオリジナリティーはあまりない気がする。
 ただ、外国人のジョン・C・ジェイ(ワイデン+ケネディトウキョウ)が「こうすべきです」というと、日本の企業の人は素直に聞くけど、日本人のぼくらが同じようなことを言っても、「もっといろんなアイデアはないのか?」と言われるところがある。ジョン・C・ジェイはカッコよくていいよなというところはある(笑)。
 ユニクロは、モノで成功していると思うのですが、ただ、一方でそれが風俗になってきたことに関しては危険な感じも漂っていますよね。日本という国は圧倒的なスピードでいろいろなことを消費していく国ですから、本来モノであったはずのユニクロも、情報として消費されそうなところがある。
 本当はもう少し時間をかけて大きくなっていくべきものだったのではないか。そのスピードをコントロールするのは非常にむずかしいかも知れないけれども、もう少しゆっくり大きくなった方がよかったのではないかなという気もしますね。

 一倉 そういうコントロールは、むずかしいですね。メーカーなどでも、やはり売れるときに売りたいですから。
 ユニクロの経営方針やマーケティングには触れないとして、ユニクロの広告戦略がうまくいっているとすれば、意思決定をシンプルに行っているからだと思います。トップダウンだと思うのですが、それをやろうとしても普通の日本の企業は決定のシステムが全然違うのでなかなかできない。


ライバルは時間? お金?

 佐野 メディアがはんらんして生活時間の奪い合いをする競争が始まる一方で、ユニクロと同じような低価格商品が次々と登場している。マクドナルドのハンバーガーが65円、松屋の牛どんが260円で売られている。人間が食べたり飲んだりする総量は限られていますから、その奪い合いになっている。だから、マクドナルドが昼飯市場を独占してしまえば、そのことによってダメージを受けるたくさんの飲食店がある。可処分所得の大争奪戦も同時に行われている。同業種ではなくて、全然違う領域の商品が競合する時代になっている。例えば、若い人では飲食店のコンペティターが携帯電話の使用料かもしれないという競争が起こっている。

 谷山 広告を始めた十数年前からぼくも思っていたことで、よくこの商品の競合商品は同じカテゴリーのこれと言われるけれど、そんなことない。お金を使ったり、時間を使ったりするものはすべてがライバルだと思っていましたね。時間もお金も限りがあるから、昔から奪い合いは奪い合いであって、それにちゃんと気づいているかだと思いますね。
 例えばキリンビールのライバルはアサヒビールなのか。それをどうとらえるかによって企業やクリエイターの仕事は変わると思っています。もちろん、以前より競争が激化しているのは確かだと思いますが。

 佐野 そういう異なる領域間での競合が激化し、また90年からの不況からも脱出できない中で、広告主の意識はどう変化したか。ぼくは、広告主は、時代の変化をわかっていてどんどん変わっている企業と、そうではない企業とに二極分化していると思っています。

 一倉 先ほどのPOSデータ、市場のコンビニ化ということと経済不況の両方合わせてですから、企業の宣伝部は本当に大変です。立場がすごく大変だということです。確かに、ぼくらは日本の一流企業というところとお付き合いをさせてもらっていますが、そこには本当に優秀な人たちがいる。にもかかわらず、コンビニの棚の奪い合いのようなことに腐心しなければならない。
 要するに、「キャーおもしろい」と飛びつく女子高生などのレベルに感度を合わせなくてはいけない。いま何がはやっているかというトレンドやヒット商品は、そこで一番針が振れるからです。どうしてもそこにチューニングするようになっていく。あるいは、ユニクロの話に戻るようですが、いかに安いかという方に話がいってしまう。
 17、8年前、初めて撮影の仕事でアメリカに行ったときは、向こうが景気が悪かった。日本のバブル前ですが、アメリカのコマーシャルを見ると、何パーセントオフとか、いま買うとこれがついてくるとかやっている。アメリカの広告はレベルが低いなと思った。それが、まったくいまは逆転していますよね。でも、そういうことで売り上げを上乗せすることに宣伝部は汲々とせざるを得ない。彼らは相当苦しんでいるのではないかと思います。

 佐野 女子高生の購買力には限度があるわけで、しかも、ブランドや企業に対する意識も希薄なまま次の商品へと移っていく。そこで売れたか売れないかで勝負していると、企業の基盤のところが揺らいでしまうような気がする。調査の問題もあるのかもしれませんね。

 谷山 ぼくは制作者の中では調査データを読むし、割と参考にする方だと自分では思っています。しかし、調査は過去のことと現在のことはわかるけれど、未来のことはわからない。ものすごく新しいものを出したら、女子高生であろうがなかろうがたいていは否定しますよね。女子高生は女子高生で、いまの自分の現実の中のセンスでしか判断しない。彼女たちが新しいものを知っているように見えるのは、その新しいものをぼくらが単に知らないだけのことであって、彼女たちですら本当に新しいものは否定する。人間というのはそこで恥をかきたくないから、新しいものを絶対否定するんです。新しいものを判断できるのは、本当はクリエイターの「チョイスする」という専門的な能力で、たまにはそういうことも信じてくれたらいいのにと思うときはあります。ある種の特殊な能力ですから。

 佐野 ぼくが調査マンだったら、定量調査ではなくて、目的に即した定性的な調査をする。例えばクリエイター100人の意識調査をする。例えば109のカリスマ店長たちに聞く。グループインタビューやサンプル調査をやってもわからないですよ。

ブランド広告とブランドの違い

 佐野 広告環境の変化に果敢に対応している企業とそうではない企業があると言いましたが、ブランド広告をきちんとやっている広告主と売るだけの広告しかやっていない広告主の二つにも分かれた気がしますね。その原因は、いまの広告のつくり方にあると思っています。
 昔は広告はインハウス、企業の宣伝部に所属したデザイナーがつくっていた。それが外に出て、広告制作会社が広告をつくっていた時代があった。そしていまは、マスメディアを使った広告は全部広告会社が仕切っているという状況になっている。しかも、競合プレゼンだから、広告のメッセージがキャンペーン単位になってしまった。そのときに一番効く案を採用するということを広告主も選んできた。
 同じクリエイターが10年担当しているのは、ほとんど限られた企業しかなくて、キャンペーン単位で制作チームが変わっていく。これはブランド広告の対極にある考え方なわけで、その現象がはっきりと二極分化というかたちで現れてきたというふうに思うのです。

 一倉 サントリーの前身は寿屋ですが、戦前から社内に広告づくりの専門家がいました。初代の宣伝部長は天才的なクリエイターでしたし、そういうセンスをいまも持ち続けている会社は文化もあるし、アイデンティティーもあるということだと思います。やはり、競合プレゼンで広告をつくって、その中で一番目立ったものを選んでいくと、企業のアイデンティティーはどう保っていくのか、それはだれが考えるのかという大きな問題が出てくる。

 谷山 日本のうまくいっているブランド広告は、結果的にブランド広告になっているところが多いような気がしますね。二つのケースがあって、一つは企業規模が巨大化しないで、トップの目が届く範囲でやってきた企業の広告。もう一つは、同じクリエイターによってつくられてきた広告です。
 大塚製薬の広告は、ライトパブリシティーの秋山晶さんと細谷巌さんがずっとやってきた。そのつくる人間によってブランドになる場合がある。よく考えると、ポカリスエットにしろ、カロリーメイトにしろ、かなり変わった商品です。下手な広告をするとキワモノ商品にもなりかねない。それを秋山さんのコピーと細谷さんのデザインで非常にインテリジェンスのある知的な広告にし続けてきたことで、いい商品をつくる会社といわれるようになった。

 佐野 続けるということですね。同じ広告をやっている企業をまだやっているのかと見るのか、まだ続いていてすごいと見るのか。ぼくは後者の評価をしたいですね。

 谷山 やはり日本的なブランドは、どこか老舗ののれんのこだわりに近いところがある。それがうまくいっている。

 一倉 確かに、世の中全体を見ると売るための広告を重視する一方で、ブランド広告を強調する企業も増えてきたように見えます。それは、先ほどから話が出ている衣料に一番端的に表れています。本当にメチャクチャ安いものか、メチャクチャ高いものが売れる。そういう両極に針が振れているからだと思いますね。
 でも、本来の意味でのブランドということなら、それこそ宮内庁御用達から始まらなければならない。いいブランド広告をつくること自体は実は簡単で、一番いいカメラマンを連れてきて、一番いい写真を撮らせて、きれいにロゴを入れればいい。それはアートディレクションだけで、広告の知恵はそんなに要らない。

 佐野 日本にはブランドは存在しない?

 一倉 メーカーがそうなれないじゃないですか。本当は日本の企業はものすごくキャパシティーを持っているけれども、腰をすえてブランドをつくるのは苦手です。いまこれがはやっているからとか、市場はこうだからということでしか自分たちをアピールできない。優秀な企業が日本にはたくさんあるのに、それでちょっと元気がないとみえるような気がします。

 谷山 それを言いだすと、会社自体の人事評価制度から変えなければ絶対無理という話になる。宣伝部長在籍中にいかに売り上げを伸ばしたかで人事評価されるわけですから。「20年後を考えてください」と言う権利はぼくらにはない。むずかしい問題ですよね。
 社長がディシジョンを下せるところは、20年後を考えてくださいと言えるけれど、結局中間の人のディシジョンに関しては、キャンペーン単位の目標にならざるを得ない。プレゼンというのは結局そういうことですよね。

 佐野 私が長いことやっていたコーワは、宣伝部の異動がない会社なんです。いまの取締役宣伝部長は40年近く宣伝部だし、その前も副社長がずっとやっていた。だから、宣伝部だけはほとんど異動なしが続いている。だから、どんな広告会社のベテランよりも薬の広告というものをよく知っている。やはりそれは強いですよね。ブランディングというのは、クセまで含めたブランドのアイデンティティーを消費者の頭に移していくことだから、表現の個性が持続しなければ絶対無理なのです。

 一倉 サントリーもほかの会社に比べるとずっと宣伝畑というプロフェッショナルな人が多い。サントリーの“遺伝子”ですね。いまの宣伝部内にも開高さんがいたころの話が語り継がれているでしょうし。

 谷山 そういう話を聞いていると、ブランディングという意味でほめられないことをやっているのが、政府広報ですね。政府広報評価委員をやっていまして、毎月政府広報を見ている。政府広報の何が一番いけないかというと、一つのテーマ、例えば麻薬撲滅キャンペーンですら、テレビ、新聞、雑誌それぞれが、いちいち競合であることが多い。毎回毎回競合だから、広告をつくる人が変わるわけです。ぼくは一つのテーマは一人のクリエイティブディレクターで何年間かやらなければ意味がないと主張しているのですが、「そういうことは癒着と思われるから」と言う。まったく非効率な税金の使い方をしていると思いますね。

 佐野 役所には単年度主義というのがあるのも原因ですね。ぼくが学芸大の教授になったときにカラーコピー機を入れたのですが、それも単年度予算だった。リースはダメなんです。次の年も同じ予算がつくとはかぎらないから、5年契約などできないという理由です。

 谷山 政府関係では機会公平という名の下にみんなの税金がばらばらのキャンペーンで使われている。「なるほど、ご説ごもっとも」と言うけど変わらないですね。

佐野氏


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